【家族心理学研究者の第一人者にインタビュー


satouetsuko

立教大学名誉教授 

 佐藤 悦子先生

 

佐藤悦子先生は2010年5月10日フロリダ州サラソタのご自宅において逝去されました。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

 

インタビュアー  山本 喜則
飯野 嘉浩

********************************************   

① 先生のご研究テーマについて教えてください。

 

 研究領域はもともと社会心理学でそれから臨床に入っていき、今では臨床社会心理学。かなり複合的な領域なんだけども、私としてははっきりしていてぜんぜん迷いがないんですよ。社会心理学には人間の行動を関係的な視点から見るという前提があるわけですけど、関係的な視点という場合に個人の中の関係I-me、対人関係、集団内関係のあたりまで私の関心にどっぷり入るんです。
 出発点では社会心理学全般を専門としていたわけですけど、その後、対人コミュニケーションから見た家族関係論に関心が焦点化しました。それを「家族内コミュニケーション」にまとめましたが、同時に理論だけでなく問題のある家族をどうするかというところで家族援助をやってきました。
 家族関係の中で一番関心があるのが夫婦関係、特に中高年の夫婦関係です。中高年の夫婦が元気にならなきゃ日本の家族全部がだめになってしまうんじゃないかという危機感がずっとあったからです。

 

② この領域に興味をもたれたきっかけを教えてください。

 

 立教大学で4年を卒業した時点で、早くお金を稼ぎたくてすぐに就職したんです。YWCAの仕事で青少年活動のグループワークに関わって、集団内の個人の動き方とか個人同士の関係やダイナミズムとかを見ていくうちに、人間関係に関する関心が出てきました。2~3年経って研修を企画運営する部署へ移動して、講師として先生方を呼んだり、関心のあるトピックを調べたりしていくうちに知の面白さに目覚めたんですよ。南博先生ともそこで出会いました。そうして研究生みたいな形で勉強を始めました。南さんの研究所は理論研究や調査研究などをやっていて10人ぐらいの所員がいて、研究会や出版物の共同執筆とかやっていましたが、その内にますます勉強したくなっていきました。そうしたら南先生に「ボクの友人が立教大学にいる。」と紹介されて早坂泰次郎先生に出会ったんです。彼は社会心理学者で実践的なグループ、集団療法をやってました。
 それで立教大学の大学院に帰ってきました。そこでは、対人関係について理論的にも実践的にも研究がなされていてビンズワンガーとかメルロ・ポンティとか現象学者たちの本をゼミで読んだりしました。関係存在としての人間-つまり個が先にあるのではなくて関係が先にあってそこから個が生成される(関係先行性)という視点でモノを見ることをそこで教えられました。すごく同感して喜んで勉強していましたね。
 修論のテーマは自我論です。ひとは自己像(セルフ・イメージ)として自分をイメージしている。そういうことで修士論文を書いていったんです。アメリカ留学から帰ってきて国際キリスト教大学に赴任していた星野命先生が「Who am Iテスト」を持って帰ってきた。自己像を測るテストです。そこで大学まで出かけていって先生にテストについて教えてもらって論文の実証編を書きました。意識と行動のずれが自己像にどういう風に反映しているかについてです。
 その当時(1962年)デモが流行ってました。それでデモに行った人/行かない人に分けて、それぞれにWho am Iテストをやったんです。Who am Iの構造は、その中心が"自分をどうみるか"(I-meの関係)「私は臆病である」とか自分についての形容詞がでてくるような自分に関する閉じられた世界。その次に出てくるのが自分とあなた(I-Youの関係)、ここが一番大事な領域。あなたとの関係で自分をどう規定しているかという、G.H. ミードのいう意味のある人(Significant others)との関係において質的に自分を見ているかという記述をみます。円の一番外側は自分と事物(I-Itの関係)。私はテニスが好きだ。とか私は学生である。という帰属意識という3つの領域に分けるんです。そうすると日本人は真ん中のI-Youが出てこない。健康な人はI-Itが出てくる。ちなみにカウンセリングを受けてる人はI-meが多く出てきたりします。デモに行くかどうかでグループ分けすると、行動している人は少ないながらも比較的にI-Youのコメントが出てきていてましたね。そういった論文を書いたんですよ。

 

 それからドクターへ行きたくなったんですが、その時立教には残念ながら心理学のドクターがなくて、1年後に開設されるという準備中の時だったんです。1年間空いてしまって、だったらアメリカで勉強しようということでフルブライトでコロンビア大へ行ったんです。
 ニューヨークへは行きたくて、いろいろ相談してコロンビア大学がいいだろうということなりました。実際のトレーニングというか、実際の活動で教育を受けたいと思ってたから、教育心理学科よりもスクール・オブ・ソーシャルワークがいいって薦められたんです。社会的な広がりで集団療法も教えてくれるし、グループワークやカウンセリングも教えてくれると。その頃コロンビアにはものすごく有名な先生がいてね、団地を中心にした市民運動を始めていました。でも私は社会変革運動に関心はあってもそれで訓練を受けるってところまでは決心はつかなかったんですよ。むしろ集団療法を教えてくれるコースを選んだんです。そこで配属されたのが精神病院で早速分裂病者の集団療法の訓練なんか受けられてすごく財産になりました。

 

 そこでですね、私は結婚するんですよ。コロンビアに居るとき大学院の女子寮にいて、週に一回オープンハウスをやるんです。そうすると男子学生がいっぱい集まってくるわけ。その中にハーバードを出てニューヨークの病院で研修医をやっていた彼がいたの。そこで意気投合しちゃって、帰ることがわかっていたにもかかわらず結婚しちゃったんです。そこで私の人生は変わったんだと思う。1年で日本に帰ってくるって言ってたけど、大学院の修士を取りたいと思ってたのでそれは望み通りだったんですけど。親には破門されそうになっちゃうし、弟にはできちゃった婚と勘違いされて、「子どものことは心配するな!」とか言われて(笑)結局彼が研修医の訓練を終えると一緒にボストンへ行きました。彼は基礎医学で細菌の研究をやるってことで、大学の教員の道を選んだんです。彼がボストンのブレンダイズ大学というところに就職したから私がついていったということなんですね。
 それでせっかくブレンダイズ大学にいるからということで、私はまた大学院に戻ったんです。また社会心理学をやろうって思って。その時、ブレンダイズにはマズローがいたんですよ。知ってる?  (ええーそうなんですか!!おおー!) それで一番最初に彼に面接に行ったんです。素敵な先生だってイメージで想像してたじゃない。そしたら、なんか丸坊主でしゃべり方が車のセールスマンみたいな感じで、すごく気さくなんだけど。私は影響を受けやすい少女だったじゃないですか、だから圧倒されちゃって。「日本人っていったら戦争花嫁だね?」とかいう話ばかり。あんまりマズロー先生にはいい印象を持たなかったんです。でも理論的には好きでしたし、それはそれでありがたく受け入れてもらって勉強をはじめたんです。 (マズローの下で勉強したんですか?) そうです。ただマズローは臨床心理学だったんですよ。私は社会心理学でしょ?だから社会心理学の先生につきたくてモーリス・シュワルツという先生に指導教授になってもらいました。この本知らないかしら?「モリー先生との火曜日」っていうベストセラー。
 彼の学生でスポーツ評論家になった人が書いたんだけど、ルーゲーリック病―体がだんだん動かなくなる病気―に先生がなってから、週一回火曜日に通って、授業を受けたって形でお見舞いしながらそこで話された先生の言葉を本に出したの。ものすごい本なんだけれども。アメリカではベストセラーになったし、テレビ映画にもなったんですよ。

 

 そのうち日本の親のことが気になって罪悪感が募ってきて日本に帰りたくなったのね。主人はブレンダイズ大学で教員をやっていたから、私はひとりで日本に帰るわって。フルブライトだったから、帰ってから本部に行ってすいませんと謝って(笑)。日本に居る間はYWCAに戻って講座部で仕事をしてたんですけど、昔と同じような仕事でこれまでアメリカでの訓練が生きてこない気がして、あまり面白くなかった。それでやり始めたことはアメリカで続けようと決心してまたアメリカに帰りました。
彼がダートマス大学に赴任したので、私は医学部の精神医学科で集団療法がやれるなと思って勤め始めました。まず入院病棟に配属されて早速、家族療法と家族面接を担当したんです。そうするときついわけですよね。コロンビアの訓練だけじゃ足りないものがあるし、家族面接をやるといっても手探りのところがあって。当時はちょうどアメリカで家族療法に火がついた頃だったんですよ。

 

(この時に家族療法に出会われたんですか。でも素地として集団療法の訓練を受けたりされていたからあったということですよね?)

 

 そうですね。1年後には外来に回ったんですが、外来では主に夫婦療法が多かったんですね。そこで家族療法を学ぼうと思って。最初に家族療法の訓練を受けたのがカナダのモントリオールでした。ダートマス大学があるのはニューハンプシャー州ハノーバーで、カナダの国境に近くてバスで2時間半行けばモントリオールだったんですよ。ボストンでもいろんな研修がなされていたんですけれども、長期泊りがけの本格的な3週間の研修というのをモントリオールで見つけたので、そこへ行ったんです。就職して本格的に働き始めたばかりだったから、いい息抜きにもなっていたと思います。それをきっかけにしてワークショップとか研修に努めて出るようにしていました。その時に直接教えを請うていたのが、まずJヘイリー、ミニューチン。第一世代の大先生ですよ。それからBサティア、アッカーマンとか、今考えるとそうそうたる人たちだけど、その頃はそういう人しかいなかったのよ、第一世代だから。 (直伝って感じですね。) セラピストとしてすばらしいなと影響を受けたのがバージニア・サティアですね。全身全霊っていう感じで家族やクライエントと暖かく接して、非常にポジティブで積極的でしたね。サティアのキーワードは自尊心なんですよ。彼女からは自尊心が人間の生活とか生きる上で一番大事という-自尊心がゼロになったら死ぬしかないというーことをしっかり教わりましたね。
 そしたら、また私の身の上に変化が起こるんです。そこで仕事をしているうちに別の同僚の精神科医と仲良くなっちゃったの。ダートマスでは研修医を訓練するプログラムが有名だった。家族を見るときや夫婦を見るときにはペアを組んで教育していた。私の場合には先輩の医師と組んでやるときと、後輩の研修医とペアを組んで私が指導をしてやるときと両方あったんですけど、私が仲良くなったのはその時の先輩の医者だったんです。セラピスト2人いるってことにはものすごく自由度がある。特に夫婦の場合はこちらも二者関係を作っているわけだからそれを見せることもできるわけだし、あるいは1人が真剣に相手に肉薄するような場面でも、もう1人居ることで安心できる。教育プランとしてはいいモデルです。2人でいろいろと話し合うこともできるし、それをマジックミラーの陰から見ているグループもある。 (マジックミラーを用意してもらってということですか?) いえ、元々あるんですよ。家族療法じゃなくても訓練するときには、1対1でやっていた時からスーパーバイザーがミラーの陰から見ているっていうシステムが元からあるんですよ。家族療法がマジックミラーを始めたって訳ではないんです。ティーチングホスピタルと呼ばれる大学付属病院ではほとんど元からありましたね。 (家族療法はもともとあったものを利用したって感じなんですかね?) 日本だったらないから初めて作ることになったのかも。 (そういう所ってイメージが沸かないのでわざわざ家族療法が開発したのかって思い込んでいました。家族療法でマジックミラーってかかせないって思っていたので。)
 同僚と仲良くなっちゃったからお互い離婚して。ちょうどその頃、前の旦那とは対等じゃないっていうか、対話ができなくって。アメリカに来てすぐのときに知り合った前の旦那はすごく保護的だったわけ。そういう保護的な関係は、10代の女の子が成長していく中で父親をだんだんうざったくなっていくというモデルで考えるとすごくよくわかるんだけど。
 それでお互い離婚して、新天地を求めて今度はテキサス大学へ行きました。 (アメリカの上から下までですね。) ガルブストンというところなんですけども、そこは医学部だけのところで、彼は精神科の教授で私はファミリーメディスン(家庭医師制度)。70年代の後半からファミリーメディスンにいい学生が集まり始め、ファミリーメディスンそのものが勃興してきたっていうのもあったんです。家庭医ですよね。病気のときだけじゃなくて常時その家族とつきあいがあるという。 (一番最初に関わるお医者さんですね。) そうPrimary Physicianって言い方もありますね。アメリカ全体でそれが大事だって事になってたんですね。医療が専門化されて選別されていったから、それだけじゃなくトータルな人間を見るという動きと一緒になっていったのかなって思います。そこでは研究教育っていうのを担当して、行動科学のカリキュラムを作った。まず全国の医学部のファミリーメディスンに連絡して、どういう行動科学のプログラムを作っているか調べて、ガルブストンに合ったプログラムを作って面白かったんですよ。それを主にやって、それの一線上で家族療法や家族面接の仕方の訓練も研修医を相手にやりました。そこでは、医学部の学生にも教えることができたのがよかったです。そこでの医学部の教え方っていうのは、3週間くらい一つの科目を毎週3回くらいづつ詰めて勉強して、試験してパスして、それが終わると次の科目をまたみっちりやる。そういう教育法だったの。集中してやるんだけれども、終わると学生は次に行ってしまうから、教員としてはさびしさもあったりして。アメリカでの医学部教育をかなり長い間やってきて少し私自身たるみがでてきたというか、アメリカでの滞在を切り上げて日本に帰りたくなって帰ってきました。それで立教に就職しました。旦那はその後、日本に休みや学会で来てくれたり、私も行ったりきたり、空軍の精神科医として少し日本で働いたりはしました。

 

 日本に帰ってきてから一番最初に出会ったのが筑波大の教授だった稲村博先生。この人の作った言葉で有名なのが「思春期症候群」で、精神科の診断名にはあたらない病理性だけでないいろんな要素が含まれている思春期児の生きにくさという意味が込められている。稲村先生は登校拒否児が出てきたときに、そういう人たちを主に診療して、私もその診療所に誘われて家族担当で働いたんですよ。彼の視点―社会的な関心や心理的、医学的な関心―に影響を受けました。そうしたら日本でも多角的・総合的な施設。大きな施設内に病院や住むところ、学校、それからレクリエーション、いろんなクリエイティブなトレーニングの場もあるという総合施設、その日本のモデルを作ろうっていう計画を始めたの。すごくエキサイティングだった。でも計画は実現せず、縮小した形で、宿泊療法とか、デイケアと診療所とか小さな規模で始めたんです。それぞれみんな別々に(笑)
 そこで私は母親たちと出会った。不登校の子どもたちは結局来ないでしょ?でも親が変わると子どもも来るんですよ。好奇心だったり、プレッシャーがなくなって自分の自発力が出てきたり。そういう中で私が悟ったのは、家族が変わらないと子どもも変わらないってことなんですね。特に家族の中でも親です。しかも夫婦としてのカップル。母親が変われば父親も変わってそれでチームが変わるっていうのは時間がかかる。2~30年スパンです。結局それに気づいて夫婦面接、母親面接と夫婦のための集団療法、家族のためのサポートグループ。それを30年間やってきました。一番効果があるのはサポートグループですね。対人コミュニケーションの訓練に焦点をあてた親のサポートグループ。一番変化に結び付けやすいってことがわかりまして、今はアメリカに本拠を移しているので夏の3ヶ月は今でも親のための講座と親のためのグループをやっています。青少年健康センターというグループです。

 

③ 先生の師は誰ですか。また影響を受けた人物を教えてください。

 

 影響を受けた人として、G.H. ミード、日本の南博と早坂泰次郎、二人の大学院時代の先生です。最初に影響を受けた先生が社会心理研究所を主催していた南博先生。日本に社会心理学を導入した人で一流中の一流、私はこの人にずっと師事していたんですよ。南先生はドイツ語ができる人だったのでドイツ語と英語と日本語を三つ並べて読書指導してたんですが、フロイトなど古典をしっかり学べっていうことを南先生から叩き込まれましたね。
 早坂先生はIPRという集団療法をやっていたんです。人間と向き合って関係というものを体験していって、他者にどういうふうに影響を与えているかとか、他者を受け入れるといったことを実際にグループの中で体験するというものです。大学院の時は2年間しかないからすぐに修論で時間がなかったので、早坂先生の実践の面とはあまり関わりがなかったのだけれども、後になって立教大に教員として帰ってきてから同僚になって先生のアシスタントとして付き合うことになりました。でも学生時代は主に現象学など理論面で影響を受けました。
 南先生のところで勉強しているときに知った名前なんですが、影響を受けた外国の人、私の原点という感じの人がG.H. ミード。1920年代のシカゴ大学の社会行動学の先生です。役割理論とか自我で有名な人です。
 それとブレンダイズ大の時のモーリス・シュワルツ。例えば論文とか毎週の読んだ本のレポートを出さなきゃならなかったんです。それを提出しているといつも先生に「Where you are?(おまえさんはどこにいるの?)」っていわれてたんです。そういう鍛えられ方をしていたんです。 (「夫婦療法」に書かれていたエピソードですね。主体性がないって。) そうそう主体性がないって、お前さんの意見はどこにあるっていうそういうことを教えられましたね。
 それともう一人。現在の関心は自己とか他者とか援助関係ですが、それを哲学からのアプローチとして一生懸命やっている日本の哲学者がいます。臨床哲学という分野を確立しようというところまで頑張っている人。大阪大の学長になっている人で鷲田清一先生という方です。

 

④ 最近の社会問題で気になるテーマを教えてください。

 

 日本に帰ってきて、気になる問題は社会的引きこもりの本人と家族の高齢化という問題です。 (30代のですか?) 30代じゃないですよ、40代、50代よ。今は子ども世代がそこまでいっています。量としては30代が多いけどね。でももうすでに40代になっている人もいっぱいいるし、50代も出てきた。そうすると親は60~70代でしょ。その老親が80~90代でしょ?今ひきこもりの子どもがひとつのライフスタイルになってますよね。不登校時代みたいに部屋から出てこないってことはだいたいない。食事なんかはまだひとりで食べるなんてのは多いですけど。夕方になったら外に出るとか、新聞を買いには行くとか、仕事がたまたま見つかれば行き始めるけど1週間くらいでやめてしまうそういうスタイルになってきているわけです。基本的な対人能力が身についてないし、やっぱり不安度も高いし、未成熟さみたいなものがあるし、気質的な面で見ると、発達障害の名残りというんですかね?性格障害とか適応障害という面もあって、親がイメージする社会生活はできないわけですし、本人にする気がないしというよりできない。でも親はね、実はまだ望んでいるんです。まだうちの子は不登校児だとかね・・・ (たぶん時間が止まっているんですね) そう、最初にひきこもりになった時点の中学の時以来、親の時間が止まっている。変わらないんですよ。だから私はそういう親に「生きてるだけでありがたいと思え!」っていうんです。結局こういう問題は受け皿としての社会のあり方も扱ってますよね。例えばフリーターとしても仕事が得にくいってことだったり。
 高齢化しているひきこもり者の存在は社会にも影響が出てくるし、社会の側の影響も本人たちに届くわけでしょ。だから社会的なコンテキストを入れないと今の問題は考えられない。そういう面での親教育は必要でしょう。「学校へ行けとはいいません」「会社へ行けとはいいません」そこまでは来たの。だけど心では思ってるから、子どもは感ずるんです。親はそこがわからない。もういわなくなったのにって言ってね。
 逆に、「ほおっておきなさい」と我々から言われると、本当に全然ほっぽらかしにしておく。子どもの変化を見て、適切な言葉がけというものがあるわけですよ、そういったものをはしょって、何もしないでほおっておいた、10年経った、だけど急にこのままでいいのかと不安になった。とかね。それに今度は親が「私がいなくなったらこの子はどうなるんだろう?」っていう大きい問題が出てきた。だからそれに対して今センターでは、代理人制度とか、遺言を書いておくとか、家を売ってそれをトラストに入れてとか、そういう具体的なライフプランの話を考える講座を開くようになってきてます。 (ソーシャルワークの方まで) そうです。ライフプランの講座を開かなきゃならなくなってきた。今はみんなの関心はそこですよ。

 

 我々もひきこもりに対するボランティアに参加しているが、少しづつ増えてきた30代くらいの人たちやその親たちにどう関わっていいかわからない。子どもとしてはもし家族にお金さえあれば、親の年に対する不安はあるにせよ、とりあえず流れていってしまう。

 

 そうでしょう。子どもにはそんな不安はないですから。まあでも納得できないって不安はありますけど。 (打開する方法はない、ではどうしていくのがいいのかねという・・・) そこは私は、生活人としてね、一つのスタイルなんだから、それをちゃんとやれるように、家庭の中でまず快適にしていくとかね。家の中できちんと衣食住の世話をしていく。"愛より親切へ"というのがモットーなんですよ、今。愛のためにって親は思うわけでしょ?この先ちゃんとやっていけるようにってね。 (愛だときびしくなりますよね。) それともうんと甘くなるかどちらかでしょ?そうではなくてね、親切というのは、受ける方が親切だと思わなければ親切にはならないわけだから。36歳の息子がなにをほしがっているかといったら、まず家の中で安心して、罪悪感なしに生きられること。そのためには衣食住の世話を親が罰則として用いないこと。基本的に衣食住の面倒は一緒に住んでいる以上、下宿人じゃないんだったら、家族の一員として見てあげるということね。そうすると日常的な会話のチャンスが出てくるわけでしょ。深刻な真情を吐露するコミュニケーションじゃなくって、いわゆる事柄コミュニケーションでいいから、生活上の問題にまつわるような、お天気やテレビ番組でもいいし、服装の話でもいいし、そういうことから家の中に「音」を回復する。
 ノイズでもいいんですよ。声が家庭には必要。声がないと緊張感が走るんですよ。楽しい静かさってないんですよ。静かだってことは緊張を感じることにもなります。子どもは批判されているような、見張られているような気になるわけだから。子どもは自分から返事はしません。そういうのにめげないでね、いろいろ声を出していく。そのためには言葉は子どもの方向じゃなくってね、旦那ともそういう言葉が出なければ不自然なわけでしょ。だから当然夫婦の中のチームワークも大事なわけで。男が退職して弱ってきて、母親がちょっと強くなりすぎて。自分は強くなっているって思っているわけじゃないけども、相対的に強くなってますね。お父さんの影が薄いわけだし、お父さんとの和解ってのは子どもはなかなかできないからいまだに口を利かないってのは多いけれども、それを無理やりに口を聞かせようとして、まだあきらめ切れないってお母さんが頑張ったり。口で「お父さんと話したら」って言うよりも、自分が友だちと遊びに行ってお父さんと子どもを二人っきりにするって方がいいんですよ。
 面白かったのはね、お母さん方やお父さん方と3泊4日くらいで合宿のセミナーをするんです。子どものことで家を離れられませんっていう人をわざと連れ出す。そうすると1日目終わると「待ってられません!」って家に電話をする。そうすると結構ね、お父さんとなんかしたとかって聞いて、すっごくショックを受けてる(笑) (お母さんと子どもの結びつきが強い分だけ余計にそうなんでしょうね) そう、自分が仕切っていると思ってるから、自分なしでは父親も子どもも何もできないと思ってるから、自分が居ないことで清々してるなんてことがモロにわかっちゃうとほんとにがっくりきちゃう。でもこれがリアリティーよってことで現場教育にはなりますけど。
 このように高年齢化の問題に一番関心がありますから、青少年健康センターではもっぱら親教育と親サポートをしています。いろんな面でね、理論講座を開いたり、グループをやったり、個人的に相談に乗ったり、継続していくしかないという気持ちでやっています。

 

⑤ 最近関心のあるトピックについて教えてください。

 

 私の現在の関心っていうのは、カウンセリングをやってきて、理論的にはG.H.ミードの自己論から始まったけれど、今は日本の臨床界が基礎にしている社会構成主義に関心があります。ここでまた言葉の部分に光が当たったわけです。言葉が世界を構成するってことだからです。ひとりひとりということと言葉ということに焦点が当たっている。 (佐藤先生の最初からのテーマである自我論とかにもつながっていますね。) I-meの関係が社会構成主義の基本になっているので、私にとっては新しいことではなかったけれども、こういう形で臨床を支える理論になったということはうれしいと思っています。言葉やコミュニケーションの問題にますます関心が出てきました。

 

 もう一つは、個にもう一度焦点をあてなくちゃならないなということで、2~3年前に「相互行為的精神力動療法」というものを紹介したんです。そういう本に出会いましてすごく私の気持ちにフィットしたんです。単に個と関係の合体というのではなく、まず関係療法から始めるんですよ。家族とか夫婦とか親子とか家族療法からはじめる。コミュニケーションを変えることでわりと早く変化は出てくるんですよね。でもそこから揺り戻しが必ず出てくるわけです。そこから個人の問題に焦点をあてる。
 例えば、お父さんが子どもと遊ぶという宿題を出すことで、子どもが学校で友達を殴らなくなったっていうようなことがあるとして、そうすると皆安心して、お父さんは自分の仕事が忙しいとか疲れて子どもとなかなかつきあえないとか子どもからちょっと目を引いちゃう。その時に今度はお父さんへの個人介入が始まる。お父さんの問題に焦点をあてるんだけれども、必ずお母さんと一緒に来てくださいと、そこは関係のフォーマットを崩さない。ただ二人を目の前にしてお父さんの成育歴を辿るとか、そうするとお父さんが人と距離を狭めて親密な関係を保つというのが元々苦手だったとか、そういう個人の癖の問題がでてくる。それに対してお母さんは、お父さんがひきこもりがちで子どもとも自分とも関わりが少ないことをなじっていたことを認める。ではなぜお母さんは相手をなじらなくちゃならないかということに焦点をあてて、次に母親の話を聞いていく。

 

 つまりI-Youの関係の中でそれぞれにI-meの話を聴くことでその2つを融和させていくという感じでしょうか?

 

 I-You間で家族関係を改善していくけれども、今度は成員の中のI-meつまり個体内に・・・ (注目する場面を、I-Youの中で見せ合うことで語り合いが出てきたりするんですかね。) そうなんです、始めて聞いたなんてこともお互い夫婦の間ででてきたりするし、 (そうするとそれに対して見方がまた変わっていったりとか) 非常に出てきますね。 (おもしろいですね!) おもしろいし、効果があります。そういう形で進んでいくというのが相互行為的精神力動療法なんです。内面といっても、関係の中でその内面が吐露されなきゃ意味がないわけでしょ?夫婦は2人しかいなくても、相談者が1人以上だったら、そこで3者以上になるからそこに複数の社会関係はできるから組み合わせはいろいろできるし、まさに社会関係を変化のテコとして使うことができる。
 そういう風にいうと、結局最初からやっていた自己に対するもっとつっこんだ考え方に関心があるから、自己の問題に私は理論的に舞い戻りしているわけですよ。それから自己となると、他者ですよね。他者の問題。自己と他者とか、その2人が作るケア関係とか、援助関係とかそういうトピックに現在理論的な関心があるんです。

 

 もう一つ別な形でいうと主人が死んだということでグリーフカウンセリングに私の関心がいったの。それでグリーフをやってきたら、喪失の最たるもの"死"ということで実存セラピーにたどり着きました。
 人間の根源的な不安って死でしょ。実存の問題を考えていて、影響を受けたのがアメリカの精神科医のアービン・ヤーロムです。彼は生きていく上で人間は「究極の気がかり」を持っているという言葉を使うんですよ。それは、①死への不安、②自由、③孤独、それから④無意味、結局意味の追求ということでしょうけど、それをめぐって人間は生きているんだってことをしつこくいっているんですよ。そういうことを考えていく実存セラピーに関心が移ってきているんです。グリーフセラピーの重要さ、もともと喪失の問題というのは人間に付きまとうものだから、死だけじゃなくて、不健康や老化だって全部喪失体験でしょ。だからそんなことも含めてグリーフカウンセリングという範疇に入る。
 ヤーロムという人は「すべてのカウンセリングはグリーフカウンセリングだ」といっている人なんです。すべて問題を喪失と捉えるわけね。失ったとか、何かを失うという予期不安とか、そういう風にいうと、なるほどどんな問題でも、不登校の問題だってまさにグリーフでしょ?親ならば努力が泡になったとか、生きがいがなくなったとか、子どもにしてみれば幼年期の楽天気な自分がなくなっているとか、思い通りにやれなくなったことを自覚するとか。ヤーロムは非常に真理をついたことを言っていると思います。

 

⑥ おすすめの本を教えてください。

 

 現在の私の臨床上の先輩というか、それはアービン・ヤーロムですね。ヤーロムはスタンフォードの精神医学の教授だったんですが、今は定年退職してパロアルトで個人開業しています。その中でおすすめの本は「グループサイコセラピー―ヤーロムの集団精神療法の手引き」や「ヤーロムの心理療法講義―カウンセリングの心を学ぶ85講」です。
 鷲田清一先生、この方の本を若い人にも読んでもらいたい。非常にいいです。今は私はこの人に入れ込んでます(笑)すばらしいですよ。すごく臨床的な人だから、自分から自分を壊すという作業を一生懸命やって、壊すってことは自分に他者を入れるってことでしょ?だからね、それを身をもってやって、それを理論化しようという人です。
 特に一番面白いのは「「弱さ」のちから―ホスピタブルな光景」です。副題がホスピタブルな光景っていう。ホスピタリティの職業、つまりサービス業ですね。それは契約関係もあるし、教員もそうだし、お店の売り子さんも、バーのマダムもみんなホスピタリティ役ですよね。元気にして次の日送り出してやるっていうね。バーのマダムとか性マッサージ師とか、もちろん教員もそうだし、それからメンタルヘルスのデイケアで障害者の就業をやっている精神科医もお坊さんも。その人たちをインタビューするとちゃんとテーマが浮き出てくるの。すごく気持ちのよい本。あなた方も読んでごらんになるといい。面白いから。自分の視野が広がりますよ。
 「「聴く」ことの力―臨床哲学試論 」これはちょっと読みにくい。けれども、とにかくとっかかってみてほしい。割と一生懸命わかりやすく書こうとされています。

 

⑦ 家族心理学・家族療法を学ぼうとしている学生や関心をもたれている方に一言お願いします。

 

 相手が人間、こちらも人間ですから、そういう二人が出会って向かい合うことで自分が変化するということが起きることで、対人関係が結ばれたとなるわけです。ですから対人関係ができるということが、結局われわれの人間としての最終目的だし援助ということだと思うんです。ただ変化を起こすためには自分に変化する準備や用意がないといけない。それは結局、臨床的態度だと思うんですよ。私はこうだっていう強い自分の枠があるとすれば、どうしたってそれから外れまいと守る行為になってしまいますからね。出発点としての自己が、"ちゃらんぽらん"であってほしいということなんです。やわらかいというか。これは誤解を招く言葉なんでもっといい言葉があればいいんですけど・・・ (いい意味での適当さ、適度なって感じでしょうか) 人に対する前に、自分に対する許容性っていうんですかね、そういう自分として人の前にたたないと、自分を崩す準備にならない。どうでもいいからこそ、あ、そうかというふうに人の言葉が入ってくるんであって、自分の価値観や枠ができていると、話を聞いてもそれが自分の中にすとんと下りない。でも!というところが自分の中で必ずできちゃう。柔軟であってほしいってことですね。元々生まれつきそうである人とそうでない人がいるけれども、そうじゃない人は安心できる状況に自分を置くということで、自分への縛りをゆるめることができる。自分自身が安心した人間関係を持ってほしい。

 

 もうひとつ。臨床実践を骨身を惜しまずしっかりやってほしい。それを事例としてまとめることで、自分が勉強した理論と、臨床から出てきた観察の結果とつき合わせる。具体的には、面接をやったら、必ずそれを事例報告として、とにかく言葉にしてまとめることですね。言葉を大事にしてほしいんです。それは、生身のやり取りやっている臨床の体験、それが経験に変化するってことなんですよ。体験はお話、ストーリーで終わってしまう。それを文字化することで意味がはっきりしてくる。そうなったところで体験の意味がはっきりして経験になる。そこまでやってほしいということです。

 

 

Copyright © 2017 家族心理.com. All Rights Reserved.
Joomla! is Free Software released under the GNU General Public License.