【家族心理学研究者の第一人者にインタビュー


in26 makihara

小郡まきはら病院  

牧原 浩先生 

(先生の御所属はインタビューがされた当時のものです。)

 

インタビューアー  駒沢女子大学大学院 下川 恵
立正大学心理学部臨床心理学科 飯野嘉浩

 

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先生の御領域/ご研究のテーマをわかりやすく教えてください。

 

僕が医者になったのは昭和37年です。その頃は精神分裂病(今の統合失調症)に対する精神療法というのが盛んでした。同時にその頃、精神分裂病というのは心因性の疾患かもしれないという考えが出てきました。それまで、精神分裂病は神経症とは質的に全然違う病気だと思われていましたが、もしかすると量的な変化にすぎないかもしれない、つまり、精神分裂病も神経症と同じように心因性の疾患ではないだろうかと考えられるようになりました。それに基づいて、精神療法が有効なんではないかという考えが起こってきました。日本でも、慶応大学の小此木先生や京都大学の方々は精神分裂病の精神療法をやっていましたが、遅ればせながら私もそれをやったことがまず第一です。 
 同時に、家族環境に心因を求めました。患者さんの家族環境や家族の中の人間関係が問題なのではなかろうかということです。当時は、特にアメリカで、家族環境に関するおびただしい数の論文が出ていました。僕の師匠が、前々から家族研究をやりたがっていたこともあり、ちょうど僕が日大の医局に入ったときに本格的に家族研究が行われ始めました。だから、僕の研究の大きなテーマは分裂病の精神療法と家族研究でした。今の時代では、完全に心因性の疾患であるとか、その源は家族環境にあるという説はどちらかというと否定されています。脳の生物学がすごく進歩したからです。もちろん昔から脳の病気じゃないかという考えはありましたので、そういう意味では僕らはマイノリティだったわけです。僕は、中山精神医学体系という本に家族に関して書いていますが、それはもう完全に家族環境因説にのっとった論文です。

 家族研究はそこそこの成果があったのですが、現在は家族環境因説は否定されていますし、私も、統合失調症にのみ存在する特有な家族因というのは、あり得ないと思っています。先ほど言ったように、その後脳生物学の進歩がありました。統合失調症の脳の中にある変化があり、何度も再発していくと、脳のある一部が萎縮するという研究まで出てきました。そのため今は、どちらかというと生物学に重点が置かれています。例えば、何の薬がよく効くかとか、新しい薬がどうとかいう時代になってしまい、僕としてはちょっと寂しいです。そうはいっても薬は使ったほうがいいと思います。アメリカの精神療法家でハロルド・F・サールズ先生は、精神療法で治ると言い、頑なに薬を使わなかったらしいです。でも、精神療法だけで完結させるのはできないだろうと思います。だからと言って精神療法が不必要だっていうのはちょっと問題です。最近の風潮として、心理の人たちは、統合失調症と聞くと、僕たちがカウンセリングする対象ではないというような風潮がどうもありますね。それは非常に悲しいことです。僕は、お薬を使いながらの精神療法的なアプローチは必要だと思います。
 それで、なんでそこから家族療法に行ったかっていう話になりますよね。精神療法というのをやってますと、よく患者の味方のようになってしまうんです。例えば、患者さんが「うちの家族はこうなんです」と家族について話したとします。患者さんの見方は非常に鋭い。実際に家族に会うと、患者さんの言ってるとおりだなとびっくりします。そうすると、患者さんは一種の犠牲者だと思い、患者の肩を持つようになる。しかし患者さんも家族に含めて全部公平に見ないと家族療法はできません。だから、患者さんの味方をするような立場に立って、家族療法なんていうのはとてもじゃないけど僕はできないと思いました。だから、あんまり乗り気じゃなかったんです。フィンランドのアラーネンが、患者の側に立っている状態で、家族を治療的に扱うってことは私にはできませんと言いましたが、僕も全く同じように考えていました。だから、家族療法なんて全然考えていませんでした。ただ、精神分裂病の精神療法って言うのは、本気になって関わると、ものすごくもつれた関係になるんですよ。一見、自閉的な壁に阻まれて、なかなか接触しがたいように思いますが、その壁がなくなると素顔が出てきます。そうすると、どろどろとした人間関係が治療関係で展開され、治療者として立場がわからなくなり、危なっかしいものになる。そんなことで、「治療者としての中立性」とは何か、と問うていました。そういうことで苦労してたころ、鈴木浩二さんが、家族療法をやろうよと誘惑してきました。あんまり乗り気じゃなかったんですが、細々と一緒にやりました。
 
鈴木さんに連れられてカナダにも一緒に行きました。そこで、イタリアのミラノ派という家族療法のセラピーをライブで見ました。ボスコロとチェキンという2人組の男の治療者でした。我々は、カナダの家族を対象とした治療を実際に見させてもらいました。あとで知ったことですが、ミラノ派というのはシステム論的な家族療法の、最高峰を極めたグループです。ミラノ派のやり方は、関係性、あるいは相互作用に関する情報を集めていくための質問を立て続けにやります。「あなたはどう思いますか?」「どう感じますか?」というような内面に触れる質問は絶対にしません。彼らは、もっぱら相互作用のところだけに質問をします。例えば、「僕死にたいんです」と患者さんが言ったとします。普通だったら、「死にたいの?」、「辛いのね」など、内面に触れるでしょ?そんなことは一切しません。それをやったら患者さんの肩をもち、家族と対立することになってしまうので、やったらいけないと言ってます。例えば、「あなたが死んだら一番最後まで墓参りをしてくれるのは誰?」という質問をします。それで患者さんが「お母さん」と答えたら、「あぁ、そうか、お母さんか。では、その次に墓参り長くしてくれるのは誰かな?」と質問を続けていきます。そうすると、「お父さん」と答えが出ます。さらに聞くと、患者さんは考えた末に「おにいちゃん」と言ったりします。こういう風に質問するのですが、質問の意味は分かりますか?つまり、誰が一番近い関係か、誰が一番遠い関係か、そのような家族関係を知るための質問なんですよ。このようにして情報を集めます。それから、問題場面の状況を第三者に聞いて情報を集めることもあります。例えば父親と母親が喧嘩したとします。その喧嘩を見ていた第三者に、「お母さんはどうしたの?」と聞きます。そうすると、「お母さんは殴られました」と返事がきます。続けて「殴ったらお母さんはどうしたの?」と聞くと、「おかあさんは言い返しました」という風に、内面には絶対触れずに相互作用だけを扱っていきます。このように質問をくり返す中で、相互作用の核になるようなものを見つけて、そこに介入していくやり方なんです。要するに、ベイトソンが言ってることをそのまま実践したようなやり方なんですが、そういう質問を発することで、誰の味方にもならない、誰と敵対もしないというやり方を彼らがやってたことに僕は一番感銘を受けました。技術的に、あるいは治療構造そのものが、中立的でなくてはいられないようなやり方をやってたことに感銘を受けたのです。分裂病の人たちの精神療法をやっていると、こちらも彼らの世界に引きずられて、バランスが失われてしまい、いわば一過性の分裂病になったような体験をします。さっきサールズ先生の話をしましたが、その先生の論文で、患者さんとの病的なシンバイオシス、共生関係を治療者は作って、お手手繋いで地獄の底まで行って、そこからまたはい上がってこなければ、患者は治らんということ書いてあります。僕はそれを信奉していました。普通はそんなに巻き込まれたらだめだとか、ちゃんと治療者としても中立性を保てとかいうでしょ?サールズ先生はそういう考え方はダメだっていうわけですよ(笑)しかしながら、1事例ならまだいいけれども、何事例もそんなことやってたらくたびれてしまいます。治療者たる僕もいささか変調するわけですが、変調した後に戻ることができます。そこが決定的に違うところですが、近い体験はするわけです。そんなことをやっていたら身が持ちません(笑)。そういうことを気にしていたので、治療者の中立性ということにフィットしたんです。ミラノのやり方は、非常に構造的に、あるいは技術的に中立的でしかありえないようなやり方をとっていました。
 学会ができるちょっと前ごろに(学会ができたのは1984年)、千葉で中村伸一さんや志村夫妻、鈴木浩二さんらと共同で、ミラノの方式にならってセラピーをやってみました。日本人であるわれわれにはミラノ理論をそのままの実践はもちろんできないけど、その方式にできるだけならってやってみたわけです。土曜日の午後を全部つぶして、3~4例ずつ1年間面接をやりました。ワンサイドミラーの向こうに観察者がいて、モニターとインターフォンを用意して、途中で面接者に「ちょっとこういう質問してください」など言いながらやっていました。しかし、このやり方は残念ながら成功しませんでした。
 サールズ先生の話に戻りますが、サールズ先生が、治療者と言うのは、患者さんに近付くことも遠のくことも自由にできることが大切だと言ってました。これは患者さんだけでなく家族と言い直してもいいですね。遠のくということは、ここに患者さんがいても、患者さんにまったく関心を払わないで、自分自身の何かに没頭できるような離れた存在でいることができるということです。そういう風に治療者は近づいたり離れたりする自由性みたいなのが必要なんだということでした。それはすごく僕の気持ちにフィットします。患者さんから自由に遠のくことができるという考え方は、治療者の積極的なアクティビティとしての中立性ということですから。私はミラノ派の「作られた」中立性よりも、サールズの自由な治療者の営為としての中立性の方が、ぴったりすると思いました。そんなことから、ある場合には患者さんに共感してもいいと思うようになりました。例えば家族の誰かがとても悲しそうだったら一緒になって泣いてあげてもいいんです。ただし、その場合には他の家族メンバーにも配慮しなきゃいけないと思います。他の家族にも、ちょっと目をやるとか、そういう配慮をした上であれば共感してもいいと思います。その場面に居た家族が、「私はそんな気持ちをこの子が持っているっていうことはまったく知りませんでした」や「初めて聞きました」さらには、「先生ありがとうございました」という風に家族が変わるきっかけになることもあるわけです。だからあながち患者さんの味方することが、家族と敵対するということではないのです。それが今のところ僕の考えているアウトラインです。

 

下川:先生が面接されるときは、家族は一緒ですか?

 いや、それは自由です。患者さん個人を相手にしても、家族のコンテキストの中の患者さんという見方もありますから。昔はなるべくたくさん集めて家族療法をやっていましたが、今はそんなことはしません。それからもう一つは、昔のように医療がのんびりゆったりできなくなりました。昔のように余裕のある時代には、ビデオを撮って、ワンウェイミラーで観察しながら、1ケースに1時間も2時間もかけて、たくさんのスタッフで見るということができましたが、今はそんなこととてもできなくなってきました。僕はオーナー病院長なので、入院患者も20人ぐらい持ち、外来も多い時は1日50人くらい診ます。それにたくさんの書類も書かねばなりません。そういう立場なので、のんびりした感じでは診れません。もちろん父親と母親と患者さんと一緒の面接をやるときもあります。でも、今日は母親だけとか、3人がそろって来たとか、今日は患者さんだけとか、その辺は融通無碍にやります。それから、もうひとつ大事なのは、10分ぐらいしか面接しなくても、親御さんが連れ添ってきて患者さんと一緒に腰かけている10分間っていうのはとても大事です。あながち、時間が長いのがいいわけではありません。僕はたとえ時間が短くても家族療法的な視点で診ます。そしてもう一つ、家族療法で学んだシステム論の家族のコンステレーションといいますか、"家族がどんな位置づけにあるか"や"どういう関係性をもっているか"ということが、頭の中にあれば役に立つと思っています。

②どのような問題意識から活動/研究をしていらっしゃるのですか。

 

今、医療の世界はすごく厳しいです。一つは医療経済的な問題、もう一つはお医者さんがなかなか病院に勤めないという問題です。昔は精神科の医者は病院しか主な就職先がありませんでした。しかし、ここ10~20年ぐらいで、内科の診療所と同じように、精神科の医者が開業できるようになりました。病院勤めというのはけっこう大変なんですよ。入院患者さんを抱えますから当直もしなきゃいけないし、重い患者さんも抱えますからとても大変です。どうも、その病院勤めをあまり好まない風潮が出てきていて、お医者さんを集めることがとても難しくなってきました。一番働いてもらいたいような、ちょうど中間ぐらいの年齢の人たちが診療所を開業しています。うちの病院からも3人ぐらい診療所を開きました。残っていてくれたら、戦力になったのに(笑)。特に地方は病院に勤められる医者が少なくなっています。国公立の病院もそうです。病院に勤める精神科の医者はだんだん減ってきています。逆にいうと、働いている人は、非常に過重な負荷がかかっています。僕は、病院を作る前はアカデミックな研究をしていましたが、今は昔のようなアカデミックな研究ができにくい状況になってしまいました。臨床の中では、今まで培ったものや、学んだものをできるだけ生かしながらやっていますが、もうすこし系統的にきちんと研究的な活動もやりたいと思っています。

 

下川:もしも研究をするとしたら、どんな研究がしたいですか?

 やっぱり、家族療法でしょうね。あるいは家族療法と家族研究は裏表だから、家族研究みたいなものを改めてやりたいと思っています。昔の家族研究は、統合失調症が中心でした。統合失調症というのは、よく軽症化といわれますが、本質的には変わっていません。しかし、今日の学会(家族研究・家族療法学会第25回大会)のシンポジウムでもあったように、社会の変化とか時代の変化や、今の市場経済の中で、家族もすごい変貌しています。もう少し、そういうことをも念頭に入れて仕事をしたいと思っています。しかし、特に大学病院などでは、現在では生物学にすごく偏っています。そして、論文量産主義みたいにもなっています。僕らの時代は、論文を書いて持っていっても、井村恒郎教授が、「そんなに論文は書くな。論文なんて1年に一度書くか書かないかでいいんだ。いい物を書けばいいんだ」と言われていました。今は論文大量生産主義で、しかも、数量化するでしょ?数量化するんじゃなくて、質的な分析というか、質的な特徴というのをもう少し扱っていけたらなと思います。今はなんでもマニュアル化する傾向があって、マークシートをチェックしてやるようで、それが科学的であるとか、客観的であるとか、そういうマニュアルに沿ってやるのがエビデンスベースドメディシンであるみたいな(一寸まちがっているかもしれませんが)、そういう妙な信仰があるみたいですね。僕は、そういう風潮には、あまり賛成できません。何がエビデンスかといったら、自分が精神科医として体験したものがエビデンスであって、よそからやたらと持ってきてつぎはぎだらけにやるのがエビデンスではないと思います。非常にその辺が面白くないから(笑)、質的なものを、復興させたいなと思っています。ただ、やっぱり脳の研究というのは、ハイテクを使ってやってるので強いですよね。「これがそうだ」と画像を示されたらグーの音も出ません。下坂さんが生きてるときにその話をもっとしたかったです。下坂さんに「こういうのはいつまで続くんでしょうか?」と聞いたら、「たぶん当分続くよ、牧ちゃん。ちょっとこれは大変だよ」と言われました。
 心理の方はもちろんだけど、看護師さんも精神療法的なことや、家族療法とまではいかないまでも、そういう風な視点で家族とふだん接したり付き合ったりしています。そういう意味では医者の方がどちらかというとあんまり家族療法的な視点で家族を見ないんです。お薬が効いたとか効かないとかっていう話がどうしても多くなってしまいますから。そういうところが、ちょっと面白くないと思っています。だから今後、もうちょっとわれわれのやっていることが、盛んになるようになればいいなと思っています。

③先生の師は誰ですか。また影響を受けた人物を教えてください。

 

もうお亡くなりになりましたが、日大教授の井村恒郎先生が師匠です。非常に尊敬されていた先生でした。井村先生は、京大の西田哲学の門下生でした。しかし、哲学よりも経験科学が自分に合うと思い、改めて東大の医学部を出て精神科医になった先生です。井村先生は、人間関係に一番興味を持ち、戦後はネオフロイト派のサリバンに非常に傾倒していました。師匠といっても、手取り足取り教えてくれたわけではなく、非常に自由にやらせてくれました。僕が精神分裂病の精神療法と称してなんか変なことやってるな~ということを井村先生はちゃんと受け入れてくれました。なにやっても自由だったので、非常に恵まれていました。それから家族研究への着眼は日本でいちばん早かったんじゃないかな?学問的にはとても厳しいお師匠さんでした。それから、もうお亡くなりになったんですけど、小川信男先生が第2の師匠です。小川先生は、分裂病の精神療法の先達です。昭和36年頃に『精神分裂病の心性』というすごい論文を書いています。それから、これはお師匠さんとはいえないけれど、お兄ちゃんみたいに親しくしていただいたのは下坂幸三先生です。昨年お亡くなりになりました。先ほどの小川先生の論文と同じころに下坂先生の『思春期やせ症の精神医学的研究』という論文がありました。日本で影響受けたのはその3人です。
 外国では、さっきのハロルド・サールズっていう人の論文に魅せられました。ちょっと読み過ぎかもしれないですね。あと、好きな治療家はロジャーズです。ロジャーズは、僕が窮地に陥った時に救ってくれた人です。その点サールズよりも恩人です。ロジャーズは、心理の人は、みんなよく知っていますが、精神科の医療では不思議とあんまり知られていません。ロジャーズはすごいね。受動的だとか、受け身的な感じで、「うんうん」って頷いていたらいいという風に誤解されていますが、そうではなくて、すごい強靭な人で、自分の治療者としての立場を貫く人でした。
 ロジャースは、絶対に自分の土俵を守っています。じーっと聞いて、「う~ん」って言って、それでいてクライエントの表現するノン・バーバルのものにも鋭いです。話を聞きながらも、気づいたことがあれば、「お疲れのようですね?」「なにか緊張なさってますね?」というようなこともぱっと言います。それから、患者さんが喋っていることを聞きながら、一つ一つ確認していきます。それは自分の心の中で、あたかも自分が相手になったかのごとく吟味して、自分の言葉で返しています。決してオウム返しではなくてね。面接が進んでゆくと、急に新しい地平が開いたみたいに、人間的出会いが覗きますよね。そういうときも実に率直で、オープンで、それで治療者のスタンスもきちんと守っているのですごいですね。

 

④さしつかえなければこの領域に興味をもたれたきっかけを教えてください。

 

 興味を持ったきっかけと聞かれると少々難しいですね。大体僕は医者になりたくなかったんです。理科数学が大嫌いだったので(笑)。好きなのは音楽とか文学とか、演劇を見ることとか、実際にやったりもしていましたが、理科は大嫌いなんです(笑)。だから、普通の科はなれないと思いました。父親が医者だったこともあり、僕は医者にはなりたくないと随分ごねましたが、結局医者になってしまいました。医者になったんだったら、もう精神科しかないと思いました。それも僕の誤解だったんだけど、精神科に行けば、数学も化学もいらないと思ってました。それは大間違いだよね(笑)。数学は銭勘定でいやしい学問だとずっと思ってました(笑)。これは自分ができないこと棚に上げていたんだけど、実際に医局に入ったら、井村先生が音調テストを使って家族研究をやっていました。テストは統計的に処理をするんですが、残念ながら統計的な処理はまったくできないので僕はお手伝いをしただけです。そのときに、数学は論理学だということと、論文を書くのもやっぱり論理的に描かなきゃいけないということに気付きました。数学はやっぱり必要だったなと後で後悔しましたけど、もう遅かったです。決していやしい学問でありませんでした(笑)そうやって理数系の科目が苦手だったので、仕方なく精神科を選んだんです。もちろん、入ってから心理学とか精神病理学と言うことは知りましたが、元々心の問題には漠然と興味があったんだと思います。そのころインターン制度っていうのがあって、東京の河北病院で僕はインターンを1年間やったんですよ。インターンの時に一緒だったのは神田橋條治さん。非常に親しくしていますが、神田橋さんはその頃から精神分析に興味を持っていたようです。

 

⑤最近の社会問題で気になるテーマを教えてください。

 

これまでは、伝統的なものの中に守られていて、それに追随していったら、終身雇用が保証されているといった社会の仕組みのようなものがありました。いわゆる伝統的な社会とか家庭とか家族というものです。例えば、父親が家で一番偉くて、外で働いて帰ってきたら給料袋を女房に渡します。そうすると奥さんが「よく働いて下さいました」と言って、子どもに「お父さんを見なさい」というようなことを言っていました。実際にお父さんがそんなに偉くなくても「偉いんだ」といばることが出来ました。今日ではそれが崩れてしまっています。伝統的な社会では、ある種の抑制みたいなものが働いていましたが、そういうものが取れてしまって、今は「何やっても自由だよ」という社会になってきました。しかし、選択肢はいっぱいあるということは、選択するものは0に等しいんだということです。つまり、非常に空虚で居場所がなくて、一人ぼっちで、孤独でということになってしまいます。それから、抑圧みたいなトラディショナルなものがなくなってきて、勝手気ままに「うわ~」となって、リストカットしたり、薬をいっぱい飲んだりとか、いろんな問題が起きてるよね。うちの中で親を蹴飛ばす子どもとか、逆に親が子どもを虐待する問題とか、殺してしまったとか、そういういろんな問題がいっぱい出てきています。病院では残念ながら非常に扱いにくいですよね。それは社会問題であると同時に現代の家族の関連している問題だから、どうかしなければいけないと思うけれども、難しいですね。
 昔の家族療法っていうのは、家族にほころびが出てるから、そこをくっつけていい家族になりましたっていう風に、ほころびをくっつければよかったわけだけど、今の家族はくっつけることが果たしていいのかどうか分からないという家族もあります。別れた方がいい家族もありますね。だから、家族療法家も難しいところにかかっています。一体家族をどのように再構築したらいいのかを非常に迷うのではないでしょうか。現在の家族は極めて多様だが、それをどう考えていったらいいか、僕はそういうようなことを考えています。

 

下川:先生の患者さんはどのような方が多いんですか?

 

 どちらかというと統合失調症が中心ですけど、躁鬱病も、摂食障害も、境界例人格障害も診ています。しかし、一番興味があるのはやっぱり統合失調症です。残念ながら統合失調症の家族療法は途絶えてしまって、代わって心理教育と言うのがでてきました。これは、生物学的な要因を認めながら、これまで家族に責任があると言われたけれど、そんなことはないよという風に家族を癒しながら、家族と協力して一緒に患者さんがうまくいくようにやりましょうっていうようなやり方です。精神療法的な、あるいは家族療法的なものと、生物学的なものとを折衷している実際的なプログラムですね。ただ、そういうプログラムではなく、統合失調症の家族療法もっと進展してみたいという気はしています。

 

⑥オススメの本を教えてください。

 

家族療法での日本での本で、特にシステム論で骨組があるのは、遊佐安一郎さんが書いた『家族療法入門―システムズ・アプローチの理論と実際』です。あれはとてもいいですよね。その他いろいろな派の夫々のやり方がたくさん紹介されていますが、それは参考にして、自分のやり方を作るべきだと思います。○○派に属しそこから出ないというのは宗教の信奉と変わりません。下坂幸三先生の『フロイト再読』。これは読んだ方がいいような気がします。下坂さんの土台になるのはフロイトの考え方です。その上で下坂さんが重んじるのは、道元の思想なんですけど、つまり東西の思考には通底するところがあるというのが、この本の最も重要なところです。フロイトは「満遍なく漂う注意(gleichschwebende Aufmerksamkeit)」と言っています。それを下坂さんは、知的に統合的に見るのではなくて、断片をみることが大事だと言ったんですよ。切れ端みたいな、一つ一つのことです。例えると、汽車に乗っていると、窓から風景が飛び込んできます。次々と風景が展開していくのを、眺めているような感じで満遍なく注意を漂わせます。それは、周りからとび込んでくるものを心の鏡に映すような体験なんです。東洋でいう「無心」「虚心」ということです。そこで道元が出てくるんです。東洋的な考え方というのは、知的に統合的に物事を考えるのではなくて、無心に、心の中に飛び込んでくるものを大事にしなさいということです。その辺で、フロイトの満遍なく漂う注意とは、無心とか虚心とかそういうのと同じことだって下坂さんはいっています。一寸むずかしいですが、よく読むと、家族も含めた患者に対し、どんな態度をとるべきかを、教えてくれています。

 

⑦家族心理学・家族療法を学ぼうとしている学生や関心を持たれている方に一言お願いします。

 

勉強よりも、経験が大切です。僕は入局してしばらく経ってから「お前は本を見るな」と師匠に言われました。続けて、「必要なことは俺が教えてやるから、体験をしろ」と。つまり、変なものに毒されないで経験するのが大事なんだということです。僕の師匠は、個性が大事なんだということも言っていました。昔、分析も本格的にやろうと思って、「教育分析を受けたい」と言ったら、即座に反対されました。「やめなさい。土居くん(土居健郎先生)はアメリカ行ってひどい目にあったんだよ。あれは君には向かない」と言われました。「壊されるよ」とも言われましたね(笑)それから「個性がなくなる」と力説してましたね。今は、なんでもマニュアルにして常識化され、個性が尊重されない時代です。これが一番嘆かわしいです。僕が日大の医局に入ったときには、皆勝手なことをやっていました。それは指導してくれる人がちゃんといたからできたことなのです。そういう時代がまたこないかなと思っています。
 それと、何学派とかなんとか派とかありますが、なになに派の信徒みたいにならないことも大切です。前に、論文の査読かなんかで文句付けたことがあります。正確にはちょっと忘れてしまたんだけれども、疑問を呈したんです。そしたら「私はなんとか派ですから」とか、まるで宗教の信者のような返事がきました。これはダメなんですよね。個性が大切だということを僕の師匠がすごく言っていました。なになに派の信徒みたいにならないで、やっぱり個性を発揮して欲しいと思います。○○派の流儀にはもちろんみるべきものもあるが、しかし、批判的精神も大切です。もちろん、勉強はなさってかまいません。あまりに無手勝流だと確かに困るでしょうから、何かに準拠しながらやらなきゃいけないだろうと思います。しかし、それに縛られないで、自由な発想で展開して言った方がよろしいと思います。

 

 

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