家族心理学研究者の第一人者にインタビュー

 

 

 

kojimatatsumi

長崎純心大学 人文学部人間心理学科教授
児島達美先生

 

(先生の御所属はインタビューがされた当時のものです。)

    インタビュアー 東海大学大学院 池亀真司
 
           武蔵野大学大学院 高橋誠

 


※インタビューに神戸松蔭女子学院大学・人間科学部心理学科助教授の坂本真佐哉先生がいらっしゃいました。

 

(以下、児島先生をK、坂本先生をSに略)

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1.児島先生の研究領域・一番の関心事を教えてください

 

K:一番関心、何なんだろう?むずかしいですね。今は、大学での院生教育をやっていて思うんだけど、ですね。スクールカウンセラーになるにせよ、病院臨床をやるにせよ、クライエントと会う前に、カウンセラーは学校であれ、病院であれ、何がしかの組織に属しているわけだよね。ところが従来の臨床モデルは1対1だから、いくら個人面接がうまくなっても、集団では役に立たないことが多いように思う。もちろん、1対1の面接は基本にはなるけれどね。スクールカウンセラーを例にとると、ある問題のかかえた生徒がいるとすると、そこには、担任の先生、養護の先生、それに校長先生や、保護者も関わっているわけだよね。そして、そういう大人たち皆が子供(生徒)について、よりいい方向にしようとしている。ただ、結果的にはうまくいっていないんだけど。そういう先生たちや保護者との関係をいかにうまくしていくか。それをカウンセラーがその生徒の問題を、全部自分で負ってしまうんじゃなくてね。生徒との個人面接もいろんな関わりのオプションの一つなんだと。そういう視点を持ってもらわないと、学校組織にとってカウンセラーはあまり役に立たないんじゃないかと思う。

 

あとは軽度発達障害の問題、ADHD、LDやアスペルガーなど、かなりメディカルな診断もちゃんとできる。それを医療につなげる。それをどうつなぐか、そこでも非常に技術がいる。保護者、学校の対立構造、学校と保護者をどうつなぐ?それを、医療にどうつなぐか。その時どうやるか? こういうテーマをいかに扱っていくかという時、家族療法で培われてきた様々なアプローチや考えが、一番役立つと思う。

ただ、大学院では、私はあまり家族療法って言わないようにしてる。なぜかと言うと、結局、精神分析やクライエント中心療法といったものと同じようにとらえられてしまうから。それに、家族療法というネーミング自体が誤解されやすい。家族に問題があって、家族を責める?そうではない。私は、前から盛んに、小さな声で、家族療法と言う名前を変えようと言ってきた。痴呆が認知症になり、分裂病が統合失調症になったようにね。家族療法は、何でも家族問題に還元するものじゃないんだ。クライエントの問題やその解決にとって一番身近で影響を与えるのが家族だというわけで、その家族の力を借りようということ。システムアプローチ、コミュニティサイコロジーと言ってもいいし、コンサルテーション、リエゾンでもいいんだけど、そういうもそうだが、名前にするとずいぶん違った感じになっていいかな、とは思う。要するに、そういうもので言わんとしているのは、自分が動いたことが周囲にどう影響しているか、そういう自分をもう一つ上から見てみること、そのことが大事。

S:家族療法は、武器そのものというよりも構え方を考える領域で、どこ狙ってどこに構えているかを考えるような領域。

 

K:少しでも関係者が動きやすくなるように動く。人と人をつなぐ。もう一歩行くと、医学と心理学モデルをつなぐ、法律と心理学をつなぐ。虐待、非行などは、単なる個人の心理的問題だけでは片付かない。そこには、社会的もしくは法律の世界が影響しているわけだから。弁護士とお医者さんも違うし、そこもつなぐ感覚だね。
池亀:企業と心理学もですね?

K:そうだね。企業は経営が中心になるから、当然、社員のメンタルヘルスも経済学と切り離すわけにはいかないよね。そういうことからすると、僕の臨床家のイメージは、昔の宴会での「太鼓持ち」みたいなものかな。いなくてもいい存在なんだけど、いたらちょっと芸をやったりしてそこ場の雰囲気が変わる。でも決して目立たない。ステージに立つ主役ではなく、黒子的な存在。でも、味がある。でも、「お前の場合は目立ち過ぎだ」って言われたけどね(笑)。それが美学。
高橋:家族療法家には、いまおっしゃった”味”のような、独特な美学があるような気がしますね。

 

K:ミニューチンは、「家族と会うときは、遠い親戚のおじさんのように振舞う」といっている。そういう距離のとり方。親戚なんだけど、遠い。
S:大抵の子供は親の話は聞かないが、親戚の話は聞くってことはありますよねー。
K:家族から離れた存在、そういう存在が必要。
S:でも、赤の他人ではない。

 

K:たとえば、問題をかかえた夫婦がいるとするよね。昔だったら、宗教なら坊さんあたりがその間に入って話しをまとめたり、まあーある種の安全弁みたいな役割をとったと思うんだけど、近代の心理学でいくとすぐに夫婦間のモデルを作ったりしてね、夫婦だけでなんとかしなくちゃいけなくなっている。そこに違和感がある。
池亀:社会学とか?
K:そこまで行っちゃうと、実践的なところがねー。僕らは臨床家だから。グランドセオリーを作ることはない。目の前の家族、クライアントを、昨日よりちょっとハッピーにできるかが大事だよね。
S:そこに、じゃあ病院のシステムがどう使えるのか、っていう感じの発想ですよね。

 

K:何とか派とかは、道具だよ。分析的な解釈、行動療法的な課題、ゲシュタルト、自律訓練もやる。お母さんには薬がいいですよと勧めるし。具体的な行動がフィットする家族もいれば、内省的なことがフィットする家族もいる。内省的な家族に行動をさせてもうまく行かない。
S:何が求められているか。それに対応して、こちらがどう答えるか。

 

K:家族療法を通じて勉強になったことっていうのは、たしかに、家族療法独自のいろんな技法で劇的な変化を生み出せるということもあったんだけど、それ以上に大きいのは、心理臨床の倫理的な問題だね。今では、ナラティブやソリューションフォーカストやブリーフもそこに入るんだけどね。ともかく、単純に、「私は皆さんのお役に立ててますか?」ということを率直に聞くということだね。また、自分の実践を他人に見てもらうことにまったく抵抗をもたない。つまり、透明性が高いということかな。、チームでの面接を導入したのも家族療法だしね。だから、若手の臨床家の訓練でも単なる陪席だけでなくてすでにチーム一員としての意識をもってもらう。それは当然クライエントにも影響を与えているわけだから。
S:家族療法は露出することに慣れているのかもしれない。
K:見せて当然。ところが従来の心理臨床って、どこかセラピストの方が秘密にしようとするじゃないか。

 

 
 

 

2.児島先生はどのような問題意識から?

 

K:ちょっと理屈っぽくなるかも。まあ単純に言うと、人間は1人では生きてないってこと。あんまり言うと道徳になっちゃうが、単純に人間は関係の中にいるってことだね。近代心理学は関係性を排除してる。そういうのが、前からどうもフィットしなかった。何でも人間の構造を心理学的に考えるのはあまり好きじゃない。固定化されたもの、固定的な見方が嫌い。人間は変わるもので、どっかに行けば別のものになる。一歩間違えたらいい加減なものかもしれないけど。最近、病理よりポジティブ面が強調されてますよね?SFAとか、ミルトンエリクソンとか。むしろ、その人を活かす無意識の使い方。Mエリクソンは天才。そこから家族療法は影響を受けた。基本は楽観的かもしれない。楽観的というと、誤解されるけどね。たしかにクライエントが抱えている問題は、大変なんだけど、じゃー大変だーと言っていればいいのかな。事実、クライエントはでも生きているじゃないか!どうしようもない奴が、何かのきっかけで、「そう捨てたもんじゃないな」と思えるようになる。これが、家族療法に出会ってより感じられたところだね。

楽観的って言うと、すぐ人間の苦悩、悩みを軽く見てると批判される。そこが、大いなるパラドックス。共感と同情は紙一重。そこが一番困るところで、クライアントにしたら余計なお世話だったりする。共感は、基本的に人と人との関係において生まれるもの。セラピストとクライアントのやり取りで、何が起こると共感と呼ばれるような事態なのか、具体的にどんなやり取りが重要か。それが重要なんで、いったん言葉が与えられると、あたかもそれが本質であるようになってしまう。

 

 
 

 

3.児島先生にとっての師匠はどなたですか?

 

K:霜山徳爾先生。今頃になって、院生の時にいろいろと言われたことが浮かんできたなあ。あと、むしろ先輩より同僚に影響受けた。僕の甘さや、臨床のポイントを指摘してくれたのは、東豊(神戸松蔭女子学院)や菅野泰蔵(東京カウンセリングセンター所長)の両氏だね。それから直接話しをしたわけじゃないが、論文で影響受けたのは、神田橋條治。1976年の、精神神経誌に載った、「統合失調症の治療、自閉の利用」というやつ。これはもう、「は~」ゆう感じ!統合失調症の治療論と言うよりも、完璧なサービス論だね。どうやったら病気を患ってる患者の役に立てるか、という一点に集中したものだけど、20から30の臨床例が丁寧に紹介してあって、すごくプラクティカル。難しい治療論なんてない。一番驚いたのは、「本人がいいと言ったらそれが一番」というところだね。治療者は患者やクライエントに対してついついあんたのこういうところがいけないと言いたくなるものだからね。

 

それから、牧原浩先生に、下坂幸三先生。僕にとって一番贅沢で勉強になったのは、僕のあるブリミアのケースを下坂先生と、石川元先生とで公開スーパービジョンしてもらったものだね。これは家族療法研究に載っている。これが最高に贅沢!タイトルは「家族療法家は過去を不問に付すか?」というんだけど、ここで詳しく話す余裕はないから、是非とも、この論文を読んでもらうといいね。

 

 
 

 

4.関心のある社会問題は?

 

K:いろんなことが気になりますが、大きな事件などがあると、意見求められたりします。特に子供たちをめぐる問題。臨床家として発言する場合、また大学の先生としてはコメント求められますが、社会問題もそうだけど、それについてコメントする専門家の言説そのものが社会にあたえる影響の問題がとても気になるね。この世の中にはいっぱい専門家がいるけど、例えば宇宙の専門家や建築の専門家と比べて、人間についての専門家は、同じ専門家でも、社会に与える影響は非常に大きい。

S
:僕は答えられない。何が問題点か。そういう思考を僕らはしてない。生い立ちとかに、やっぱりなっちゃう。言うことはできるかもしれないけど、臨床場面ではそういうことは考えないから。

 

 
 

 

5.お勧めの本はありますか?

 

K:東豊の「セラピスト入門」に菅野泰蔵の「カウンセリング解体新書」と、今度出る「カウンセリング方法序説」かな。いずれも、僕らが当たり前のように考えている臨床のあり方自体をちょっと斜めから見てみる。そういう感じかな。とくに菅野に教えられたのは、セラピスト-クライアント関係についての一節だね。、セラピストがいい仕事できるかどうかはクライアントに依存してるというところ。まあー、読んでみてください。

 

 
 

 

6.家族療法を目指す人へのメッセージをおねがいします。

 

K:実際の臨床の時に、“なんだかんだいっても一番身近なのが家族で、家族の力を借りない手はないよ”というだけの話。家族の力を借りない手は絶対ない。極めて実践的に考えた場合、個人療法でも良いんですが、やっぱりごく事実的に見れば、いろんな人の影響受けながら人間は生きてるわけだけど、最も受けてるのは良くも悪くも家族。ご家族の力をちょっと利用させてもらう、そっちのがよっぽど楽なのにって言ったのが下坂幸三先生。

 

S:一昨年、マダネスが来たとき、「家族というのは、一番身近な自助グループだ、それを利用しない手はない」と。これはビタッと来た!
K:あーそれはいいね。それは今生きてる人、現に一緒に生活してる人でなくてもいい、すでに亡くなった人でもいい。
S:離れて暮らしてる人でもいいし、一緒に暮してる他人でもいいし、家族って定義できないわけですね。
K:そう、ペットでもいい。ペット連れてきて一緒にやる、それを家族心理学ってそうだよといえば、家族をテーマとした家族心理学な理論的な研究になるんでしょうけど、それも大事だと思うんですけど、ごくごく実践的なところで言うと、さっきの話、いいですね、家族が自助グループだよとか。家族を使わない手はない。
S:メリットがあるから一緒に住んでるわけですよね。一緒に住んでる理由があるから一緒に住んでるんだと。子供といると楽しいし、愛情をもらえるとか、子供のほうも面倒見てもらえるとか、まあ、一緒に住んでる。一緒にいるってことはメリットがある。メリットに注目していけばそこに資源がある。見つかるはずだ、そういうこと言ってた。

 

K:エンプティチェアとか、最近良く、リメンバリングなんてナラティブが言うけれども、過去の問題って言うのもやっぱりその人を構成してることに間違いない。問題は、過去のもんってそのまま残ってるわけじゃない。なんか貯蔵庫があってとかではない。想起するのは今の自分が想起している。だから構成されてるってことだね。だから、「その話、あの死んだじいちゃんが聞いたらどう思うかな?」とか聞く。ちょっと降りて来てもらおうかとか、ここにいるとしてとか(笑)、一人の人の感じることや考えって、その人一人で出来ているわけじゃないんだよ。君もそうだけどクライエントも、それぞれの背負っているものがあり、いろんなものがふわっとある結節点になってるからね。

 

それから、家族療法やってく中で勉強になったのは、面接場面で、言葉をどうクライアントに伝えるか、言葉の捉え方だね。というのは、例えば分析的なモデルで行くとほとんど言葉の意味の世界だよね。意味論の世界。クライアントは何故そう言ってるのか、言葉の裏の意味を読む。家族療法の中での言葉の扱い方は、そのクライアントの言葉とこちらのやり取りが、その文脈の中でどういう影響を及ぼしあうか、というもの。だから、何故クライアントがそう言ったのかという視点は、あまりない。例えば子供がこう言ったことは何か、傍にいたお母さんに、「いま息子さんこう言ったけど、この話を聞いてお母さんはどう考えますか?」とか。
S:「お子さんどうしてそんなこと言ったんでしょうね?」と、違うわけですよね。どう活用するか、どう役立てるかの世界ですね。

 

K:だから、きちっと逐語で面接のプロセスを見ていくことが必要だね。今流行りの質的分析の中で会話分析ってあるでしょ?これは社会学から来てるんだけども、あれでターンテイキングってのがあって、クライアントがこう言った、セラピストがこう言ったっていう連鎖を拾っていくと、幾つかのポイントが出てくる。実はクライアントの発言は、セラピストの前の発言に拘束されてる。決して独立して出てくるわけじゃない。クライアントの語ったものは、前のセラピストの言葉を受けて出ていている。どういう反応であれ、そういう連鎖として、パターン、言葉を見ていくと、このクライアントがこういった意味は何だ?と言う観点で見る視点とは全然違う。それを家族療法では考えてるわけね。それのベースになっているのがコミュニケーション理論。

 

だから、何を言ったかよりも、どう言ったかということに焦点がいく。同じ内容伝えるにしても、伝え方によって受け取り方が違うでしょ?一番簡単な例は、言語的には同じ意味でも、言い方、トーン、調子、表情によって、その同じ内容でも全然伝わり方が全然違うみたいな。例えば馬鹿って言った時、「ホントお前馬鹿だよなー(優しげに柔らかく)」って言ったときと、「馬鹿!(ドスの効いた声できっぱりと)」って言ったときで、裏で伝わっていくメッセージ違う。そのあたりが家族療法の、硬く言えば治療言語っていうことになるかな。躊躇しながら伝えるのと、はっきりストレートに伝えるの、どっちがいいのかとか。その辺は結構センシティブだよね。
S:語用論ですね。
K:そうだね、プラグマティクス(語用論)。あとは、面接場面だけど・・・カウンセラー目指す人ってどっちかって言うととても真面目な人が多いわけだよ。悩みを持って来られたクライアントだから、大切に扱わなきゃいけない、っていう風なスタンスがあるんだよね。それって、もちろんその通りなんだけど、少しでも元気になって帰っていただくとか、ちょっとでもまあ来て良かったなと思っていただくとかっていうのを、我々は考える。そうすると、笑いの大切さが出てくるわけだよね。

 

ところが、僕のところの院生がよく聞いてくるのは、「先生、面接って笑っていいんですか?」と聞いてくるんだね。僕は別にクライエントを笑わそうとしてるわけでもなんでもないんだけど、それはみんな言う。逆に言うと、きっと面接ではすごく真面目に言わなきゃいけないって言うのがあるんだね。面接場面で笑うなんて・・クライアントが笑うならいいが、セラピストが笑うなんてとんでもないんじゃないか?って思ってるみたいね、みんな。

 

でも、これは決してふざけた話じゃない。東豊が言っていたけれど、ただ笑えばいいって話じゃない。最高の笑いは“泣き笑い”だって。ほんとに辛くてどうしようなく、最後に泣きながら、ククッて笑いに変わっちゃう。それが上質なんだって言ってた。別に笑わせようとする必要はあんまりないんだけど、少しでも楽になってもらう。結果としてそうなる。ただ、僕の場合はすぐ突っ込みいれたり、(指)パッチン多いしねー、「さっすがお母さん!」とか、結果的のオーバーアクションになっちゃう(笑)。

メッセージとして言葉にするの難しいですね、誤解されそうで。ただ、カウンセリングを「大変な仕事だ」と肩肘を張らずに考えてもらいたいということですね。

 

 
 

 

7.最後にこのインタビューを聞いて受験しようと思う学生に一言、大学院紹介をお願いします。

 

K:僕のところも一応臨床心理士養成指定大学院ということになっているけど、単に「臨床家、臨床家」というはではダメじゃないかと思っている。自分がやってることを、もう一つの目できちんと評価できる。それは質的な形であれ量的であれね。ということで、従来の心理学の基礎か臨床かなんて枠組み事態を壊したいわけですよ。だから、僕のところでは、学部の時からそうなんですけど、できるだけそこの融合を図ろうとしている。プレイセラピー、箱庭療法、深層心理学的、分析的な立場、臨床動作法、サイコドラマもやる人もいます。

 

それから、これから僕は非常に重要だなって思うんですけど、神経心理学、いわゆる精神生理学。そっちのほうで、いわゆる大人の高機能障害、心理リハビリテーション、これを専門にやろうとしている若手がいます。さらに、臨床系ではないんだけど、音楽知覚の実験的な研究、子供と母親の間、母親が赤ん坊に話しかけた場合、音楽的な要素を取り入れた場合とそうでない場合、赤ん坊の反応がどう違うのか、そういう研究をやってる教員もいるんです。彼の研究は世界レベルでね。そういうことでできるだけそこは幅広くやってもらおうと思っています。ちなみに、僕自身あえて家族療法とかブリーフセラピーと言う名前は出してません。あと実習は、長崎に一校しかないので純心はかなり恵まれてるんじゃないかと思います。実習先から考えると。

S
:うちも恵まれてます(笑)。

 

 

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