【家族心理学研究者の第一人者にインタビュー】

 

 
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ラテンアメリカ家族療法研究所

イグナシオ・マルドナード先生
精神科医・家族療法家

ラテンアメリカ家族研究所創立メンバー, 同研究所教員・理事
ファミリー・プロセスBoard of Directors 
(2000―2004年期) 

(先生の御所属はインタビューがされた当時のものです。)

インタビューアー  ラテンアメリカ家族療法研究所 矢代 倫子
ラテンアメリカ家族研究所 継続教育課課長
同研究所内 家族療法・臨床心理修士課程教員

 

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矢代>今回のインタビュー有難うございます。

イグナシオ先生>いえ、日本の皆さんとコンタクトが取れることは光栄なことです。

現在最も関心を持っていらっしゃる研究のテーマは何ですか。

私は二つの領域に関心があります一つは家族とバイオレンスのテーマです。もうひとつは、仏教心理学と心理療法のテーマです。どちらのほうが、日本の皆さんの関心と繋がるかはわかりませんが。
(日本では、家庭内暴力とDVを分類するなど独特の専門用語あるようですが、メキシコではバイオレンスにあたるスペイン語の言葉で様々なタイプの暴力を総称するのでここではバイオレンスとしておきます。)

どちらも、大変面白いテーマだと思うのですが、まず、家族療法とより直接的な関係が示しやすいバイオレンスの問題について話していただいて、機会をみて、仏教心理学について触れていただけますか。

いいですよ。では、家庭内のバイオレンスの問題から始めましょう。実際、この問題に関心を持ったのは、偶然というか、内務省の要請で法を犯した青少年のアテンドと調査をし始はじめた事からなんです。この仕事では、とても面白い経験をしましたが、同時に、お役所の仕事にありがちな、いろいろな「面倒で大変な問題」も体験しました。2年間この仕事をしているうちに、犯罪を犯す青少年の家族には、バイオレンスの問題が顕著にみられるということに気がつき、もっと、この問題に直接フォーカスをあてて働いてみてはどうか、ということになったんです。

いつごろのことですか。

12年前です。私が主催するCAVIDA という、家族関係におけるバイオレンスのケア・センターが始まって、10年になります。ケア・センター立ち上げまでの期間をいれると、12年以上、この問題に従事してきたことになります。犯罪暦のある青少年と働きながら、彼らの家族にバイオレンスの問題が頻繁に見られる事に気づき、それ自体を研究のテーマとして、いろいろな家族や夫婦にインタビューや臨床的なアテンドしたりし始めたんです。こういう切り口でいろいろな家族を観察してみると、そのケースの数の多さに、とても大きな関心を持ち始めました。いろいろ、新しく気づいたことも多く、私の長年の臨床家としての経験の中で、以前、見たことがなかった事を観察する様になったのも驚きでした。私は1965年から家族臨床を始めたので、もう40年の経験になりますが、私がアテンドしてきた家族について「バイオレンス」という言葉を通すとより理解できる側面が多々あるということを非常にはっきりと感じ始めたのです。それは以前にはみえなかった部分が見え始めたという感じでした。 
これは、あなたが事前に送ってくれたもう一つの質問「どういった問題意識に基づいてこの研究テーマを研究するにいたったか」への回答に関係しますね。私は1962年から63年ごろ、精神分析の研修を受けていたのですが、その時期に流行っていた診断名が「ボーダーライン」でした。精神分析の観点からだけじゃなく、当時の精神医学のバイブルのようであったDSM IIIにおいても、ボーダーラインとは基本的に精神状態が非常に不安定な女性のものであるとされていました。その中で、私の記憶に刻みついている言い回しがあるのですが、「ボーダーラインはバイオレンス又は正当な理由のみあたらない怒りにアクセスする女性のものだ」といわれていました。長い月日の後、様々な異なるタイプのバイオレンスの被害者である女性のインタビューをし始めるようになって、これらの女性が一応に社会的に孤立状態にあり、「ボーダーライン」と分類されていた人々ととても似通った「状態・症状」を示すという事に気が付いたのです。バイオレンスが、彼女を社会的孤立においこむのです。統合失調症の患者の家族においても、こういった社会的孤立状態はよく観察されます。バイオレンスのケースをケアする中で、どのように当時「ボーダーライン」として理解されていたのと同様の症状がこの人たちの中で成り立っているのかという事を考えるようになりました。それは、幼児期のトラウマを源としておこるというよりも、現在の家庭内のバイオレンスの問題と関係して成り立っているというのが、はっきりとみえてきたのです。幼児期のトラウマをボーダーラインの原因として否定しているのではなく、それが引き金になるケースももちろんあると思うのですが、現在の家族関係の中でバイオレンスの被害をうけている人には、ボーダーラインと似た症状が見られるというのに気がついたのです。こういった観察からバイオレンスという問題に大きな関心を持つようになりました。ラテンアメリカ家族研究所や個人の診療所における私の臨床経験の中でも、バイオレンスというレンズを通すことによって、以前みえていなかったものが見えてきたのです。それが、私の中にとても大きな興味を引き起こすようになりました。

それは、60年代に一般的であった「ボーダーライン」の見方とは全く違うということですね。一連の「症状」を、その人個人の性質や病気と関連づけるのではなく、家族関係と関連付けてみるようになった。

そうです。当時の考え方では、初期の精神分析理論で提唱されていたように、人生の途中で、成人期にボーダーラインと呼ばれるプロセスが始まると考えられていた。

現在の家族関係の中に存在するバイオレンスとボーダーラインとして以前理解されていた症状が関連づけられるというのは、一つの驚きだったわけですね。 

驚きでもあったし、意図的であったではないにせよ精神衛生学の権威による不公平さというものを感じました。というのは、当時、そういった女性に対しては主に精神分析的な治療が提唱されていて、最低でも週3・4回のセッションをうけながら、治療が終わるのには何年もかかり、たとえば、15年とか20年といわれており、しかも、成功が保証されていないものでした。今、私がみているかぎりでは、問題の原因はすぐ目に入るところにあるし、その問題のリスクは非常に高い。精神衛生的なケアといった観点からも、バイオレンスの被害状況への対処が遅れると、それだけリスクが高まるというのも一つの動かせない事実です。

大変興味深いお話ですね。そういった興味に基づいてバイオレンスと家族という問題に取り組まれてきたということですね。先生が主催されているCAVIDA(家族とバイオレンスの問題のケア・センター)の提唱する治療モデルについて教えていただけますか。システムアプローチの家族療法を基にして問題にとりくむモデルと考えていいですか?

私たちは、システムモデル、つまり一般システム理論や、社会構成主義に基づいて働いています。又、具体的な治療モデルとして、現在もっとも影響を受けているのは、ナラティブ・セラピーです。 
バイオレンスの専門家の間でこの問題にシステム・アプローチを使うことに対する批判や問題定義がなされてきた事に触れるとおもしろいと思います。これは一般システム理論とサイバネティックス理論の混同に関係していると私はみていますが、家族療法の分野ではこの二つの違いをあまり明確に意識してこなかった歴史があると思います。例えば、アルゼンチン人の専門家でバイオレンスに関する研究でも大変著名なJorge Corsiです。彼とは、ディスカッションする機会が度々あるのですが、彼はシステム・アプローチはこの問題の対処法に適さないという意見を持っています。彼と同意見の専門家が言うには、一般システム理論は人間関係のヒエラルキーやパワー・バランスの問題を扱うのに適していないというのです。私はこの意見には全く反対です。システミックモデルの観点に基づいてこそ、家族関係におけるバイオレンスの問題を単なる「アグレッション」の問題と区別できると考えるからです。バイオレンスの問題には、他者の弱体化、他者の尊厳の剥奪を基にした権力の行使がみられるからです。個人の攻撃性という問題と、人間関係内でのパワーバランスの違いやヒエラルキーの問題の中でひきおこされるバイオレンスの問題を区別すると、後者の問題のケアを可能にする理論というのが基本になります。Jorge Corsi はシステム・アプローチはヒエラルキーの問題を扱わないといっています。私は、れは本当に間違いだと思っていますが、こういう考え方は家族療法の歴史の中で、ずいぶん長い間信じられてきたものです。家族療法の開発期である30,40,50年代において、一般システム理論と、サイバネティックスはあたかも同じものであるかの様に語られてきましたが、この二つにはそれぞれ区別できうる個々の特徴があります。サイバネティックスは、確かにヒエラルキーについての考察がほとんどありません。純粋なサイバネティックス・アプローチ、コミュニケーション中心のアプローチが暴力の問題を扱うのに十分ではないというのは賛成できます。しかし、システム・アプローチは暴力の問題に適していると思います。一般システム理論の提唱者である、von Bertalanffyはヒエラルキーの問題についての一章を自著の中で割いていましたし、システミックな観察にはこの問題を含めてきた長い歴史があるのです。 
こういう考察を基にしたうえで、我々は、システム・アプローチの中で発展してきたいろいろな仕事のモダリティはバイオレンスの問題を扱うのに、非常に有用だと考えています。たとえば、ミヌーチンの構造派モデルなどは、大変有用です。

様々なシステムミックモデルの中では、確かにミヌーチンのモデルにおいて明確に人間関係のヒエラルキーの側面が取り扱われていますね。

そうですね、ミヌーチンのモデルがその代表といえるでしょう。それから、我々にとってもう一つ大切な理論的概念は、現実の社会構成という考え方です。家族の概念もバイオレンスの概念も、社会的に構成されているという考え方が大変重要です。社会構成(ソーシャル・コンストラクション)という考えは、我々を脱構築(デコンストラクション)という考えに導きます。つまり、何かの本質をつきつめる事で解決法をさがしだすというのではなく、社会的に構成された現実という見方を基本とした解決法を考えます。例えばメキシコでは、家族にたいする保守的な概念とそれに関連した社会的な動きがありますが、この社会通念は、様々な心理的葛藤に深く影響しています。というのは、家族の多様性という自然現象に対応していないからです。神様が創ったひとつの抽象的な存在としての家族というカトリック的な社会通念を基本にすると、その変化について考えるのが非常に難しくなります。これに対して、社会的に構成される概念としての家族という考えに基づくと、家族の生態系や文化のインパクト、各家族の生活の基にあるの文化的前提というものがみえてきて、様々な家族の形態を尊重しようという考えが自然に導かれます。どうしてシステミック・アプローチや社会構成主義が我々の仕事の上で重要なポイントになるかというのは、これらの考えを基にすると、いろいろな家族形態を尊重するという姿勢が非常に自然な形で可能になるからです。例えばメキシコにおいて、もし、母子家庭を両親がそろっている家庭と比較して、機能不全家族と考えてしまえば、機能不全の家族は、全体の25%も占める事になります。四分の一です。この、「ディスファンクショナル・機能不全」という言葉はよく使われますが、非常に私が嫌いな言葉で、小さな侮辱ともとれると思います。四家族に一つの家族が母子家庭というコンテクストの中で、母子家庭を両親がそろっている家庭に対して機能不全かどうかという側面でとらえるのは、ただ単に、その家族を傷つける役割しかはたしません。こういった考察もふまえてシステム理論と社会構成、そして治療モデルとしては、ナラティブ・セラピーの概念、主にホワイトとエプストンの提唱概念を取り入れています。

社会構成、多様性の大切さ、脱構築できる現実、多様な家族形態を尊重するといったお話をきいていて、来談者のエンパワーメントというナラティブセラピーの概念を思い出しました。これは、ホワイトやエプストンの提唱するセラピーにおける中心的な考えですが、先生のお話は、各個人や各家族形態のエンパワーメントといった意味でとらえられますね。

その指摘はとても大切ですね。エンパワーメントは「視線」を含みます。たとえば各家族をリスペクトしながらみる事。つまり、相手がリスペクトをもって見られるという立場にたつと、その家族、または個人のエンパワーメントに繋がりますね。この考えは、我々の住んでいる社会では特に大切だと思います。現代の我々の社会は、いわゆる「不足の文化(デフィシットの文化)」で、今「あるもの」よりも「欠けているもの」を、現在ある資質や資源よりも足りないものを強調する文化です。私は日本に住んだことはありませんが、現代の社会という意味では同じような感じじゃないでしょうか。そういった中で、その人の今あるがままをリスペクトするという視点から始まる会話や視点の大切さ、まず、足りないものを探してそれを補う援助をするのではなく、まずあるがままの家族の力や論理性をリスペクトし認めたうえで主訴にあたる問題をとらえるという考えが大切になりますね。それは、エンパワーメントと深く関係します。 
社会構成主義と同時にジェンダーの問題があります。私のように、ジェンダーの概念が提唱される前と後を両方生きてきたものにとって、精神衛生の分野での一つの革命的概念はジェンダーだったと言えます。男性性・女性性という概念を解剖学的なもの、または、生まれたときに出来上がるものとして話さずに、社会的に構成されるものとして、又、脱構築可能なものとして話すということは大変重要です。例えば、我々が主催するバイオレンスの問題を持つ男性とのグループセラピーの中で、最も重要なテーマの一つはマスキュリニティとバイオレンスの関係です。我々の文化において、マスキュリニティの概念はバイオレンスと密接に結びついています。この概念を脱構築するプロセスは大変重要です。そこから、バイオレンス以外の要素を基にした男性性の表現や再構成の可能性が生まれるからです。

暴力的な側面を拠り所とせずに自己の男性性を表現するという事ですか。それを可能にするプロセスとしてあるのが脱構築。

そのとうりですね。とても、複雑なプロセスですし、色々な事が関係してきます。たとえば、経済面ですね。我々の文化では男の人が「男」と感じうるのはお金を稼いでこそですね。その証拠にと言ってもいいと思うのですが、男の人が失業したとたんに、バイオレンスに走るというケースがよくみられますね。お金をうちに入れられなくなると、自分を「男だ」と感じられなくなり、自分の男性性の確立のために他の要素に頼ろうとしますね。いろいろなタイプのバイオレンスを通して自己の男性性を表現しようとする。そういった意味で、いろいろなタイプの暴力を研究することも必要ですね。たとえば、身体的暴力、心理的暴力、性的暴力、経済的暴力等ですね。それらの分類をすることは我々の責任でもあります。最近は、法律関係の方々も我々の意見に耳を傾けてくれるようになっています。我々は身体的暴力にフォーカスをあてて働き始めましたが、いまでは、心理的暴力が深くかかわっているという事を常に意識しています。それが従属関係や他の援助ネットワークからの孤立といった、バイオレンスの関係成立に必要な要素に繋がっています。Seligmanという研究者のラインに従っていうのですが、ひとたび女性が「学習された無防備」といった状態になると、あらゆる種類のバイオレンスが完全に可能になりますね。深刻な身体暴力、経済暴力がおこりえるのは、そういったものにたいする抵抗がおこりえない状態になっているからです。つまり、先ほどいっていたエンパワーメントが ない状態になります。

男の人の暴力の行使とマスキュリニティの関係について聞いていて思うのですが、その男性の暴力の被害者である女性とそのフェミニティの関係についてはどうですか。

とても大切な点ですね。マスキュリニティの社会構成・脱構築が大切だということと対比して、フェミニティの脱構築も本当に大切な問題です。女性性においても、「この人を受け入れなくちゃ。暴力的なところはあるけど、男だからしょうがないし、私は女なんだし、弱い自分でいいし、やさしくして、強くエネルギッシュな男の人をたてなきゃ。男の人がある程度女よりもいろんな権利もってるのは当然だし」といった暴力を受ける人の文化的前提がそ、前述の男の人と完璧なコンビネーションになりますね。

つまり、男性はこうあるべき、女性はこうあるべきという考えが、関係の中で心理的暴力を可能にする一つの重要な役割を担っているというわけですね。

そのとおりです。男性のマスキュリニティと対比する形で、女性自身がもつこういった考えが心理的暴力を可能にする関係の成立におおきく関わってきます。もう一方で、バイオレンスの被害者である女性は社会のネットワークから孤立していく傾向がありますね。セラピーの中でその人の援助のネットワークをチェックすると、女性は母親を頼ろうとする場合がほとんどなのですが、その母親が「もうちょっと辛抱して、別れないで。あたなの夫でしょ。暴力的になるんだったら、相手の機嫌がなおる様に、工夫しなさい」と言う確率は信じられないほど高いです。母親が、別れを認めない、被害者である女性が母親に相談することやめて孤立するというケースが非常にたくさんあります。

この先生の描写は、バイオレンスのケースのカウンセリングにおいて夫婦や家族といった人間関係のコンテクストを含んだ見方をすることの大切さを感じさせますね。相談者の周囲の人がどういう意見をもっているかが、どれだけその人に影響しているかを考慮にいれないと、これらの人々の社会的孤立を理解して、その解決法を探すことは難しいですね。バイオレンスのケースの中で中心的な問題の一つである被害者の社会的孤立をケアするには、心的構造や人格要素といった個人的側面よりも、人間関係のコンテクストとつなげて理解する必要があるということがよく分かりました。個人にフォーカスをあてるアプローチとは違って、来談者の社会関係にフォーカスをあてたシステミックアプローチや社会構成主義的アプローチを理論的枠組みにしている理由もよく分かると思います。最初にお話になっていた、ボーダーラインといった症状も、個人の気質・心的障害としてではなく、その人のいる人間関係のコンテクストとその「症状」との関係で見ると、新しい意味がみえてくるといった最初のお話にも繋がりますね。 
先生、CAVIDAのグループセラピーについてコメントしていただけますか。男性のグループと女性グループといった形でされていますよね。

そのとおりです。男性同士でマスキュリニティとバイオレンスに関して話しあい、脱構築と個人的なこれらの概念の構成の形について話すことは大変有効ですね。女性のグループでも、グループから受ける支援や、自分と同じ問題を抱える人同士とのグループワークは大変役にたっています。今このとりくみはCAVIDAのアテンドの中でも中心的役割を占め治療的に大変有効に活用され成功している活動です。

家族・親子・夫婦間でのバイオレンスの問題が大きな社会問題となっているメキシコでこの問題への取り組みの中心的役割を果たしてきたCAVIDAの活動に関する興味はつきないのですが、次の質問のテーマへ移らせていただきます。もうすこし個人的なテーマになるのですが、先生の「師」といえば、誰ですか。最も影響を受けた人は誰ですか。

私の人生はもうすごく長いので、一人の人を上げることできないですね。現在の自分の興味のテーマはバイオレンスと仏教心理学なので、そういう意味において、最初に影響をうけたのは、Karl Fried Graf Dulkheimですね。ドイツのハイデンバーグで精神医学の大学院過程の修得のために留学した時に出会った先生です。彼は、日本のドイツ大使館で10年間働いた経験があったので、そのときに学んだ禅や仏教を取り入れた形で、ドイツのシュバルツバルド(黒い森)で精神科の患者のためのコミュニティーを指導していたんですよ。この先生は、最近103歳でなくなったところです。

精神科医だったんですか。 

精神科医であり、ユング派の分析家でした。彼に会った時が、心理カウンセリング、精神分析といった精神衛生と関係した活動と、スピリチュアリティ関係の活動がコンビネーションされた活動を見た初めでした。例えば、瞑想とか。個人セラピーとコミュニティーでの集団での活動とを混ぜていました。シュバルツバルドのなかに小さい山小屋がたっていて、患者とスタッフが朝一番にみんなですることは瞑想と太極拳でした。この活動から、仏教心理学の中心的アイデアに出会ってとても面白いと思ったんです。Graf Dulkheim は、患者とのコミュニティーワークの中でそれをふんだんに取り入れていました。ハイデンバーグでの留学では他に「師」と呼ぶことのできる先生には会わなかったけど、Graf Dulkheimはまさしく、それでしたね。 
次に本当に大きな影響を受けた「師」は、ミニューチンですね。精神分析を学んでいた私には本当に大きなインパクトでした。当時、62年63年頃、パロアルトへ何回も研修を受けに行きながら最新の情報を届けてくれていた、「師」とも、「インスピレーションを与えてくれる人」ともいえる友人がカルロス・スルツキでした。ワツラヴィックやベイトソンがまさに、活発に道を切り開いていたような時で、スルツキはアルゼンチンへ何度も帰って、彼がパロアルトで見ていたことを随時語ってくれていました。そえが、大変興味深いテーマだったんです。特に私は、精神衛生の社会やコミュニティへのアプリケーションという点が興味があって、当時自分が訓練を受けていた精神分析がとても制限させたものだと感じていましたから。一人の患者さんを週4回必修でみていて、経済的にもそれを成しえる人口は限られていたし、セラピストがアテンドできる人の数もすごく限られていたからね。当時の精神分析協会は同時期に二つの活動をすることを禁じていました。グループセラピーや家族療法と精神分析の二つをやってはいけないということです。でも、私はグループセラピーにも家族療法にも関わっていました。

アルゼンチンでの話しですよね。 

アルゼンチンの話だけど、国際精神分析協会自体がこういったタイプの禁止をしていました。現在はちがいますが。アルゼンチンの協会は国際協会に加盟していましたからね。私は、精神分析での週四回の仕事と、家族療法との違いを比較することができてとても面白かったんです。週四回のは、本当に長い年月の治療っていう感じで。家族療法の成功したケースでは一見深刻なケースが何回かのセッションで解決してしまうんです。解決か、もしくは目に見える改善が観察されるケースか どちらかだったんだけど。ミニューチンについていえば、初めは「師」として知り合って、いまじゃもう長年の本当にいい友人なんですが、彼の仕事を始めてみた時に感じたのは、素晴らしい治療効果についての驚きでした。ミニューチンがする2・3セッションで、全ての家族メンバーに凄い変化がおこって、その変化が凄くて印象的でした。実際、今まで、もう何度もメキシコへミニューチンを招待していますし、私がアテンドしていた家族に彼がアドバイザーとして介入するのを何回もみています。彼のセッションの治療効果の凄さは、いつも変わらぬ驚きですね。確実に大きくて継続的な変化を人にもたらします。そのときだけの変化じゃなくて、継続する変化でね。そういう意味において私の「師」と呼べる人の一人はミニューチンですね。 
もう一人自分と考え方の共通点が多くて、とても魅力的に感じるのはマイケル・ホワイトですね。彼に始めて会ったのは、ブリュッセルで行われた家族療法の学会でした。

何年ごろの話ですか。

80年ごろですね。私が既にファミリープロセスと結びついて働いていたときだからね。advisor editor として働いていて、リスボンでのファミリープロセスの会合へ言ってから、ブリュッセルの家族療法学会へいった時でした。1985年ごろのことだから、私は当時従事していたニカラグアでのワークについて発表しました。この仕事は全部で8年の仕事になったんだけど、この学会では3年目ぐらいの時点での報告をまとめたものを発表しました。1979年にニカラグアでサンディニスタ革命を達成したグループにコミュニティー・メンタル・サービスに関するアドバイザーを頼まれて、精神分析の概念とシステミック・ファミリーセラピーの要素をたくさん取り入れた仕事をしていた時でしたからね。Mar?a Langer(著名な精神分析家)と Silvia Bergman と 私がコーディネーターとなって8年の間14人のグループでメキシコからニカラグアへ周期的に旅して仕事をしていました。この仕事で、ドイツとブエノス・アイレスで勉強していた間ずっと持っていた「どのようにメンタルサービスの概念を社会に結び付けていくか」という興味に、いろいろな答えが出せたんです。私はサイコ・セラピーは政治的なものであるという考えをずっともっていたんですが、それをアルゼンチンでも書いたりしてきました。でも、アルゼンチンではこれを書いたせいで、独裁政権の下で亡命を余儀なくされたので、高くつくことになったと言えますね。メキシコでも、この政治の概念は文化的な問題もあって、難しかったんだけど、ニカラグアではそうではなかった。左派のグループが30年の独裁政権後に勝利した後だったからね、システミックなものや、エコ・システムという概念を心理臨床に導入することができて、いろいろなおもしろい展開ができました。そのエコ・システムの中で大事な要素として、ポリティックの問題があるという持論も展開できたし、充実できました。ブリュッセルの学会ではこれについて発表していたのだけど、偶然参加していたマイケル・ホワイトとシェリル・ホワイトが私の発表を聞いて、インタビューさせてほしいといってきたんです。特に政治とセラピーの関係に関するアイデアに興味をもったということでした。そのインタビューから始まって、一緒にいろいろ食事をしたり、メキシコの私のうちに滞在して語り合う仲になっていきました。メキシコへも2回招待しているからね。

マイケル・ホワイトが有名になる以前の話ですよね。彼が書いたNarrative means for therapeutic endsは確か1989年とか1990年に発表されてますものね。

そういう意味でいえば、その本の出版の前で、彼がまだその考えを「料理」している所でした。有名でもなかったし、誰だか知らなかった時だしね。初めてホワイトをメキシコのワークショップに呼んだのは1994年か95年でした。 

私は2000年のワークショップには参加しました。1985年のブリュッセルでの出会いはドラマチックともいえますね。

そう言われればそうだね。ニカラグアの仕事について、ホワイトが興味をもってインタビューを依頼してきて。ニカラグアの仕事については最近Dulwichのナラティブ・セラピーの国際ジャーナルに書いたところで、それには、当時ホワイトにされた質問に関連してまとめてあります。その記事の中で言ったのは、サイコセラピーは政治と密接に関係しているということ。それが、私とホワイトとの共通した問題意識で、彼の事をとても身近に感じてきた理由でもあります。メキシコシティの私のうちでも、テポソトランのうちにも訪ねてくれて随分長い会話を持つ機会があったけど、たくさん考え方や話が合うところがあって。ホワイトに特に感謝しているのは、彼のインターベンションをシステマティックに紹介する能力と、あれだけ優秀な形でそれを実行に移してきたその確固たる信念の強さです。そういう意味で、大変優秀で、コンスタントに仕事が発展できて、結果をだして、人として尊敬するところが多々あります。相談者を前にしても、その人の一番いいところを引き出そうという決心と実行力。自分の仕事や患者さんとの責任あるかかわり方と態度には本当に刺激をうけますね。

面白いエピソードですね。運命がこれらの人々に出会うように導いたような。そうやって、聞くと、人によっては、ミニューチンとホワイトを「師」としてあげるのは、そのコンビネーションがちょっと分からないと思う人もいるかも知れませんが、出会った時期や状況を考えると理解できますね。

そのとおりだね。時間がのびちゃうけど、4人目の「師」についてあげれば、それはMarie Langerだね。 Marie Langerはブエノス・アイレスで10年私の分析家だった人で、オーストリア系のユダヤ人でヒットラーのせいで移住を余儀なくされた人だった。彼女は精神分析関係で私が出会った人々の中で始めて「心理療法は政治と関係する」という確信をもっていると感じた人だったね。彼女もアルゼンチンから私より一ヶ月前に亡命でメキシコへ着いて、一緒にこの私のうちに住んで、その時はもう分析家じゃなく、友人として接していた。メキシコに住んでいた間、ずっと私たち家族と暮らしたからね。

著名な方だったんですか。

とても優秀で著名な精神分析家で、常に社会批判という視線をもって意見を持ち続けた人でした。

ナチョ先生の「師」についての話は大変興味深いですね。4人が4人とも全然違ったタイプの人で、臨床心理の分野で、ある意味、あまり互換性がないと言われる4つの違った分野に関連して働いてきた人ですね。それぞれ、その分野で特別に優秀な仕事を成した方で。たとえば、精神分析と家族療法では認識論的枠組みが全くちがうし、ミニューチンの構造モデルと、ホワイトのナラティブ・セラピーも違いを中心にして紹介されることが多いですよね。ホワイト自身、構造主義の範疇に入るモデルと自身のモデルとの認識論的枠組みの違いを何度も強調していますよね。また、禅や仏教なども、心理学とは区別して話されることが多いし。

そうですね。そのとおりといえますね。そういった意味においては、スルツキが私の紹介をするのに、「ナチョはいつも、ボーダーにいる人だ」と紹介したことがあるよ。「ボーダーライン」って聞こえるって笑ったけど、その表現が自分にぴったり来るものがあったんだね。自分でそうしようと思ってしてきたことじゃないけど、興味を持ったことに従事してきたら結果として、ボーダーにいつもいるようなことになってきた。精神分析、システム・アプローチ、ナラティブ・セラピー、仏教心理学、いつもボーダーにいるって言われるのがよく分かる。

そうやって、色々な違った先生に出会いながら、常にそれぞれの先生との友情や関係を保ってらっしゃったっていうのも、ナチョ先生のとても特徴的な部分だと思うのですけど。精神分析のMarie Langeとの関係から、次にミヌーチンとの関係が始まって、ナチョ先生がシステム・アプローチへ傾倒していても、Marie Langeとの関係が続いて。ミニューチンとの関係の後に、ホワイトと出会って、でも両者との関係がずっと続いていて。それも、各分野では第一人者である人たちで、ある意味まったく違った考えの代表者としてあげられる方々で。どうしたら、そんなに自然な形でその関係が続けられるのかも、非常に興味があるのですが、ナチョ先生の人柄のなせる所でしょうね。興味がつきないのですが、大変長くなってしまいました。今日は本当にありがとうございました。

こちらこそ、日本の方々とコンタクトがとれるのは私にとっても大変うれしいことです。

 

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