家族心理学研究者の第一人者にインタビュー

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神戸松蔭女子学院大学・大学院教授 東 豊 先生

(先生の御所属はインタビューがされた当時のものです。)

  メインインタビュアー  京都教育大学講師  花田里欧子

 

 

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<先生の領域と研究のテーマを教えていただけますか?>

 

 専門は家族療法。しかしそもそものスタート、256年前はね、ブリーフセラピーだったんですよ。徐々にブリーフセラピーから家族療法になって、その後ブリーフセラピーの学会も出来たので協力はしたけど、やはり家族療法が好き。というより複数の人を相手にするのが好きと言うべきかもしれません。

 

<どのように家族療法を学ばれてこられたのでしょうか?>

 

はじまりは学習心理学

 

 僕が一番最初に勉強したのは学習心理学なんです。大学(関西学院)時代はラットの実験ばっかり。学習心理学の研究室にいましたから。動物小屋でねずみを飼育するのが面白くてね。で、白癬菌をもらうんですよ。ねずみの皮膚病。僕だけその白癬菌が顔にできたの。そのねずみといつもこうしてね、ほっぺたを(すりよせる動作)...。かわいがりすぎて白癬菌が顔にうつって、ぶつぶつが顔にできて()。まぁ学生時代はそんなんでした。そのときの先生が今田寛先生。日本心理学会の大重鎮ですね。そのお父さんの惠先生も大重鎮でしたけどね。僕がもともと心理学科に入ったのは偶然です。友だちが行くから行こかって感じで。僕らの時はね、入学の時点では所属学科が決まっていなかったんですよ。3回生の時に好きなところへ行ける。最初は美学科でもいこうと思ってた。友達が心理学科に行くというから、「ほんじゃ僕もそれでええわ」って感じ。それがねずみの実験ばっかり。それがホント面白かったですね。大学院へ進まないかって話もあったけど、勉強は大っ嫌いで、早く社会に出たくてねえ。それで某会社に入った。昭和54年かな、たった4ヶ月で辞めた。それで大阪に帰ってきて、どうしようかなって...。うどん屋でバイトを始めたんです。うどん、大好きなんですよ。日本一のうどん屋になろうと思ってねえ。で、まあ順調に仕事していてね、2ヶ月くらい経った頃かな、今田先生が電話してきて、「お前、仕事やめて帰ってきたらしいな、何してる?」って。「うどん屋やってます」って答えると、「時給いくら?」「420円です」。「もっと良い仕事あるぞ」「いや、いいです。僕、うどん屋やりますから」。すると今田先生、さも残念そうに「もったいないなぁ、月○○万くれるんだけど」「行きます!」って僕即答()。それが神戸市の児童相談所。「お前もせっかく心理学勉強したんだから」って。昭和54年の秋ですね。そこで半年間、子どもと遊んだり、WISCとか田中ビネー教えてもらったりしましました。まあ、よちよち歩きですがそれが臨床経験のスタートでしたね。

 

神戸市の児童相談所から大阪の高石クリニックへ

 

 で、あっという間に契約の半年が過ぎて、次の就職先がない。でも児相の人が親切でね、「あたしの友だちが某病院に勤めてるんだけど、お腹大きくなって辞めるから後任を探している。面接行ってきたら」って。即、行きました。しかしそこは生まれて初めて見る精神病院。当時の僕から見ると「変な人」がいっぱいで恐い。面接も受けたけど先方の言ってることがさっぱりわからない。ぜんぜん専門用語がわからんし、それとね、人権意識の非常に強い病院で。「患者の人権についてどう思われますか」などと言われても、そんな事、当時は考えた事もない。で、説教されました(笑)。こりゃかなわんなと思ってね、「このたびは僕からお願いしたにもかかわらず失礼ですけど、就職を辞退させていただきます」って。手紙を出しました。そしたらその日のうちにね、先方からも不採用通知が来ましたけど()
 で、そうこうしているうちにまた今田先生から電話があり、紹介してくれたのが、高石昇先生がおられる大阪梅田の高石クリニックでした。「そこで行動療法ができる人間を探している、君も学習心理学をやって行動療法はその応用だからなんとかなるだろう、ついては兵庫医大の久野能弘先生(現・中京大)が鍛えてくれるから、突貫工事でやれ」と。そこで行動療法の猛特訓を受けたのが、昭和55年の1月~3月でした。その後、高石クリニックの面接いったら4月から即採用。そんな無茶を可能にしたのは、長期の教育分析のようなものを必要としない行動療法いうことにあったでしょうし、何より当時の臨床心理のいい加減さが大きいでしょう。大学院でのトレーニングなんて誰も考えつかなかったし、そんな場所もなかった。
 さて、行動療法家としてスタートしようとしていたところに、高石先生が訳された本を紹介してくれました。それが、『心理療法の秘訣Strategy of Psychotherapy(※注:精神医学選書 戦略的心理療法―ミルトン・エリクソン心理療法のエッセンス― J・ヘイリー 高石昇訳 黎明書房)。高石先生は行動療法家であるとともに催眠療法家でいらっしゃる関係でその本を訳されたんです。で、その本を読んで目からうろこゴソッ落ちました。「あっ、これやんか」って。あの本との出会いが僕の人生決めました。もっとも、ちょっと患者を悪者にしているところがあるので、現在は若干批判的に読んでいますが。でも何よりあの本のすごさは、個人の症状とか問題を個人の精神内界の有様で捉えるのでなくて“関係”、特に治療者と患者の関係で捉えているというところなんです。患者の発言がこちらの応答でどう変わっていくか、そして関係性のありようでどう動くか。面接時のコミュニケーションという具体的で観察可能なレベルで教えてくれた本だったわけです。こっちが動き方ひとつで相手が変わる。それが、僕の一番の関心となっていきました。でも当時はその本はあまり売れなかったようです。その時代はやはりロジャーズが主流という雰囲気でしたからね。そうした中で、「戦略」などという言葉を使用するのはとても勇気がいることだったわけです。有志で阪大病院の一室にこもって勉強会をしていて、僕も参加させてもらいました。そのグループには、後に一緒に淀屋橋心理療法センターを開業することになる福田俊一先生もいました。


 (ノートをテーブルの上に並べられる)これは懐かしのノートです。就職した年に始まる昭和55415日から始まる僕の予約帳です。これを全部こなせていたのには、高石先生もびっくり感心されていました。「君は口八丁手八丁足八丁やなぁ」と(笑)。とにかく毎日が楽しかったです。心理療法でこんなすごいことが起きるんだ、と惚れ惚れしながらやっていました(笑)。もちろん失敗談もあり、それは「セラピスト入門」にも紹介していますので是非ご一読を(笑)。

 

淀屋橋心理療法センターを開業 

 

 僕自身は、自分のベースやルーツは、家族療法の中でも、特にMRIアプローチ(戦略派)にあると思っています。ただ、昭和60年前後頃からしばらく、世間は僕を構造派であると思っていたようでした。それには淀屋橋心理療法センターに所属していた事が関係しているのでしょう。淀屋橋心理療法センターは、一緒に阪大病院で勉強していた福田先生と僕とで一緒に設立しました。福田先生というのはアメリカのミニューチンのところで構造派を勉強された方です。それで、構造派と戦略派の二人が一緒に開業したら何でもできるぞ、なんて話で盛り上がり、高石クリニックを辞した後、淀屋橋心理療法センターを開業するに至ったわけです。それがマスコミに注目されました。「登校拒否治る、摂食障害治る、家族療法という新しい方法」などといって、NHKや週刊誌で取り上げられたんです。昭和58年頃です。そこでは主として構造派の技法が紹介されましたし、実際当時は構造派の論文を書きました。それでどうしても「構造派の東」というふうに受け取られたんですね。一般的にも、構造派のほうが戦略派よりも分かりやすく理解されやすいですしね。でも、僕自身はエリクソン、J.ヘイリーの影響を一番受けていると思っています。

 

<今ご自身を振り返られて、先生が臨床家として初期の段階から相当な数のケースを着実にこなすことができたのはなぜだと思われますか?>

 

天性のセンスよりも大事なこと

 

 僕はもともと基礎的な実験心理学的からスタートして、久野先生に行動療法の教えを受けはしましたが、今の臨床心理士の資格制度におけるようなトレーニングは、受けていないに等しいわけです。でも、今だから言いますが、というか、今だから思うのですが、センスはあったと思います()。当時はもちろんセンスがあるなどとうぬぼれていたわけではなく、夢中でやっていただけなんですが、今、若い人たちを見ていると、あ、俺ってセンスあったんだなって思いますね()。そのセンスが何に由来するのか、というのは自分では本当に分かりません。ただ、仕事が面白くて仕方なかったというのはありますね。好きで好きでしゃあなかった。そして僕にセンスがあるのではなくて、家族療法(あるいはブリーフセラピー)というのは誰がやってもこれくらいできて当たり前で、そういう力がそのセラピー自体にあるのだと思いこんでいました。でもこれが僕の不幸の始まりでした(笑)。30代の頃は、うまくできない人を見ると「何やっとんねん」という感じで、腹を立てていました。でも違うんですね、重要なのは心理療法の方法論とか個人のセンス以上に、トレーニングだと思っています。僕の現在の最大の関心はそれですよ。どのように人を育てるか、これに尽きます。これは僕の過去の反省でもあるわけです。

 

初期―褒められるなかで―

 

 僕自身、自分の師たちのことを振り返ってみますと、僕の周りにいてくれた人たちがみんな褒め上手だったというのが大きいと思います。高石先生にしても、久野先生にしても、福田俊一先生にしても、他にも当時阪大病院にいた先生たち、アドラーの野田俊作先生にしても、先年亡くなられた頼藤和寛先生にしても、みんなとても上手でした。上手に僕を乗せるんです。褒め上手は驚き上手って知っています?(笑)。例えばケースが終結して、「東君、あれどないしたんや?」と聞かれて、僕が「○○したんですよ」と答えると、「すごいなあ!すっかり良くなっとるねぇ」とか、「うまいなあ!」とか。嘘でも嬉しいよね、こっちは()。それでますますその気になる。もちろん調子に乗りすぎたときもありましたよ。失敗したことも多々ありましたし、そのときは叱ってもらえました。でも、まずはやっぱり褒めてくれる人がいたこと、これが一番大きいと思います。誰一人として僕を「つぶす」ような人はいなかったんです。とてもいい教育を受けられたと思っています。だからこそ、今度は僕もそういうことを学生に伝えていきたいと思っているわけです。今は、「どうやってこの子たちを伸ばしてやろうか」ということを考えるのがとても面白い。もちろん、褒めてばっかりではなくて、怒ることもありますよ。そういう事も含めてトータルで、人を教育させてもらうことはとても楽しいことです。

 

中期―社会の目のなかで―

 

 家族療法を始めて、「家族療法の東」って、まだまだ若造なのに、20代後半、30代頭に世間に名前出ていた時期がありました。そうすると、それだけ楽になった部分がありました。例えば家族療法のワークショップをしたりそれについて何か書いたりすると、もう最初から「家族療法の東」っていうことで、実際にはまだまだペーペーなのに、「あいつはできる奴だ」と皆が錯覚してくれる。当時は気がついていなかったけれど、これがある種の楽ちんさを生んでいたと思いますね。勝手に「ありがたい現実が作られていく」って感じで。まあ、僕はそれを自分の実力やと勘違いしていたところがあったと思いますけどね(笑)。

 

後期―病院システムのなかで―

 

 その後、山口県の小郡まきはら病院から、九州大心療内科、その後鳥取大精神科にいきました。12年間、白衣を着ていた時代です。白衣が持つ力、そして病院や九州大学、鳥取大学という看板が持つ力、そういう色々な支えの中で仕事ができました。何よりお医者さんと仕事ができたのは楽でしたね。ドクターが診察してから、つまり、診断をしてくれて、それからケースが回ってくるわけですから、こちらは診断面接の必要がない、いきなり解決モードの面接を始められるわけですよ。しかも病院やら大学という看板があって、白衣着て、既に、来談者との間には、もうこれだけで「特殊な」治療関係が形成されていますよね。でもそれで、残念ながら勘違いするわけです。「全部俺の力やないか?」みたいな(笑)。とんでもない。大学の看板の力、白衣の力でやってる部分が大変大きいはずなんです。そして、たとえば入院の書類書きやら何やらしんどいところは全部医者がやってくれて、おまけにいざとなれば最後は医者が全部責任を取ってくれるという安心感(笑)。そういう甘やかされた環境がありましたねえ。今思えば、結果として、病院というシステムの中で目一杯その資源を利用させてもらった...。もちろん当時はそんなずるいことは考えていませんでしたよ(笑)、ただただ当時は一生懸命でしたから。でも今振り返ると、ああ、あれは自分だけの力じゃなかったなぁとつくづく思うわけです。

 

<先生が現在の最大の関心と言われた臨床トレーニングについての詳細を教えてください。>

 

トレーニングが最大の関心である理由

 

 若い人は上級者の鍛え方によってものすごく伸びるし、逆に芽をつぶす事もある。ある意味、クライアントさんとの面接以上に怖いことだなと思います。臨床の教員でも、クライアントさんは大事にしても同業者や学生が相手だとつぶすような発言をする人がいると聞きますが、臨床と教育でやってることがずいぶん違う人もいるのかもしれません。僕はもちろん両方とも大事だと思いますが、教育の方がいっそう大事かもしれません。なぜなら、自分が教育した人が100人のクライエントをみるとして、若い人を10人教育したら、自分の教育の影響が1000人のクライエントに及ぼされるわけですから、教育をとても大事にしないといけないわけです。

 

トレーニングの具体的な方法

 

 『家族療法のヒント』(東豊(編集)、牧原浩(監修) 金剛出版)という本がありますが、僕の大学院での教育について書いていますので、それを読んでいただけるのがてっとり早いです(笑)。その内容を簡単に言うと、徹底したロールプレイです。面接の最初の五分のすすめ方を一年掛かりでやるくらい。もちろん僕の治療に同席させたりもしますし、ビデオもふんだんに使います。本だけ読んでできるようになる器用な学生はほぼいないわけです。やっぱりお手本を見ないといけない。そのお手本がいいか悪いか別にしても、真似ながら自分のものに変えていくわけです。僕もよく久野先生や高石先生の口真似をしました。そこからだんだん自分らしさが出てきたわけです。ただこれまでの伝統的な心理療法の教育方法の中で、後発組でマイノリティの家族療法のやり方が必ずしも快く受け入れられない部分もある。結果で勝負できる臨床現場と違って、教育現場では家族療法もそうそう大きな顔はできません。そういう環境の中で、どう家族療法を教育していくか、今一生懸命考えていることです。でも逆にそういう状況だからこそ、家族療法を学ぼうとする学生も根性がないといけないでしょうし、鍛えられる部分も大きいでしょう(笑)。将来いろんな流派の人と一緒に働く中で起きるであろう事を学ぶという意味でもとても重要です。ただ教育する側としては、いくつかの点に置いて、家族療法はいわゆる日本の伝統的な心理臨床や心理療法の教育システムにはどうもなじまないなというのが正直な印象ですね。ちょっと後ろ向きですけど(笑)。

 

<これまでの歴史をお伺いして先生が一貫して科学的な態度を強く意識されているのが印象的です。>

 

学習心理学と家族療法をつなぐもの

 

 僕はもともと実験系の心理学から出発しました。そういう意味で家族療法は自分と相性がよかったのですね。一番は観察可能なものを対象にしているということです。家族療法ができるようになるということは、煎じ詰めればコミュニケーションを観察できるようになるということです。目に見えない人の心を評価したり解説したりというのは僕にはちょっと向いてない。よく事件などがあると「犯人の心理について教えて」などと質問されるのが心理学者として一番辛い(笑)。学習心理学で身に付いた観察→仮説→実験(介入)→観察といった一連の作業を繰り返す癖が、結果的に家族療法をやっていく上でとても大きな良い影響をもたらしたと思っています。

 

家族療法と行動療法、精神分析

 

 僕が最初に心理療法として学ぶことになった行動療法も観察可能なものを扱っているので、もちろん性にあっています。実際の治療ではよく使いますね。家族療法の中で使うわけです。家族療法ではコミュニケーションのパターンを変えるのですが、つまり「関係」を変えるわけですが、その手段として行動療法をしばしば利用します。でももちろん、多様な相手に会わせるため、材料はたくさんあればあるほど良いですよ。家族療法の目的に沿って、ここは外在化を使おう、ここは系統的脱感作法を使おう、ここは夢解釈を使おう、そういう風に材料は使い分けで来たら理想的ですね。その中でも行動療法関連の技法は僕のお気に入りではありますが、精神分析的な知識は弱いので、こちらはもっと勉強しなければならないなと思いますね。サッカーの好きな人と友だちになるにはサッカーの話をするし、野球の好きな人と友だちになるには野球の話をする。それと同じことです。だから、「野球かサッカーか」というレベルでは、たとえば「行動療法か精神分析か」という、材料の使い分けをしたいところです。しかしその材料を使う目的はあくまで「関係の変化」。だから家族療法家の行う行動療法はたとえば再条件づけのためではなく、その使用により「関係」を動かすため。精神分析的介入も同様。家族療法家が行うそれらの治療は表面上似ていても、純粋な行動療法家や精神分析家が行っているものとはその哲学において全然違っているわけです。これは非常に大事なことです。「先生はどのようなケースに家族療法を行い、どのようなケースには行動療法を行いますか?」という愚問がなくなることを祈っています。

 

<先生の御著書等の中で書かれている事例は、臨床家に有用な示唆を与えてくれるだけでなく、専門家でもない一般読者向けの読み物としてもとても面白いです。>

 

 それはきっとこれまでの事例集に比べより演劇的・物語的だからですよ。そして僕の頭の中で起きている事を可能な限りオープンにしているからではないでしょうか。僕は事例をまとめるということは、自分の臨床経験をひとつのストーリーとして起こしていく作業だと考えています。悪質な嘘があってはいけませんが、何より僕自身が納得できる、僕自身が楽しめるストーリーを作ろうとします。その結果、多くの人にも役に立って、かつ出来れば楽しめる事例報告となる事、それが一番重要だと思っています。このとき忘れてはならないのは、僕が書いた事例はあくまで僕個人のストーリーの紹介だということ。クライアントはクライアントでおそらく違うストーリーを持っています。どちらのストーリーが正しい、間違っている、ということではないでしょう。僕の書いたAさんの事例をAさん自身が読めばひっくり返って驚くかもしれませんよ。「ここには嘘が書いてある!」とね。とかく心理臨床の世界では、あたかもセラピストとクライアントがそのストーリーを共有しているかのように、そして、そのストーリーが絶対的であるかのように語られることが多いような気がします。そういう意味で、僕の著書にある事例はすべて、「ある事実に基づく僕の創作」と言って良いし、そのように割り切って書かれているので、一般読者も面白いと言ってくださるのではないでしょうか。

 

(院生:伊東)「最近家族療法がだんだん普及してきているようですがどうしてでしょうか?」

 

 現在も普及し続けているというよりも、日本で家族療法が言われ出してもうかれこれ25年だから、臨床的にはもうプラトーに近いと思います(笑)。要するに、普及してきて、安定期に入りましたね。しかし教育現場は遅れていると思う。まだまだこれから「普及」するところです。ここ数年東北大の長谷川先生や東京大の亀口先生が走りで家族療法が大学の中で講座として行われるようになりました。さらに最近では京都教育大もそうでしょうし、立命館大は団先生、龍谷大は吉川先生。それぞれの大学が家族療法を一枚看板に加えようという流れが出てきている。そういう意味で、臨床的な広がりはプラトーだけども、家族療法家を育てる教育体制作りはまだまだこれからかもしれないですね。今後は教育界が家族療法のできる人をもっと求める時代に入っていく可能性はありますね。そうして家族療法の良い指導者が増えると、将来的には臨床心理士の教育システム全般が変わっていく可能性もあるでしょうね。たとえば家族療法のトレーニング方法の良いところがもっと認められるようになる。現在の家族療法は長い心理療法の伝統の中でまだまだマイノリティとしての位置付けですが、それがあと25年~30年以内に、僕が80歳くらいになる頃には、心理臨床の中心かもしれない(笑)。教員の面接に同席することや、ビデオ撮りは当たり前のことになるかもしれない。そういう意味ではこれからが楽しみです。正直な話、僕は皆さんに家族療法をぜひおやりなさいとまでは言わないけれども、今日の話を聞いて、「これからの時代は家族療法か、面白そうやな、ほんじゃ家族療法やってみよか」ということであるならやってみたらいい。でももっともっともいろいろな方法論を勉強してからでもいいと思いますよ。実際、いろいろやってみて、ピターっとくるものがありますよ。そうこうしているうちに「家族療法なんか嫌やなぁ」と思うかもしれないし。だいたい元来心理学が好きだという人は家族療法を嫌がる傾向がありますね、不思議なことに。なぜかというと、そういう人はやっぱり「心」を扱いたいわけなんですね。人間の「心」が好きなんですね。で、心ではなくてコミュニケーションを扱う家族療法は敬遠される。「浅い」なんて言われたりして。だから、人間の心をああだこうだと説明するのが好きな人というのは、家族療法には向いてない気がしますね。

 

(院生:山本)「質問:システムという見方でやっていくアプローチのメリットとその限界を教えてください。」

 

 システムズアプローチに限界があるわけではなくて、それを使っている人間の限界があるのみです。システムという物の見方を使っている人の力量によって限界はすぐくるし、何の役にも立たなくなるわけです。だから、システムというものの見方の使い手である僕の限界はここまでというふうには言えるけども、それは決してシステムズアプローチの限界ではないですね。使い手の限界に過ぎません。ですから、システムという見方を採用しようとする人が、その道具の使い方に慣れていくことが大事です。また、その道具のメリットということで言えば、これも僕にとってのメリットということになりますが、簡単に言えば、セラピストとしての自分がとても楽になります。これが一番大きい。つまり、自分の中で治療仮説を立てていく手順が分かるし、面接が見えてくるようになるわけです。いったい面接で何が起きているのかさっぱり分からないなどということがないし、ただただ面接時間が経過するということもなくなる。面接を見ていくひとつの視点が得られる、面接が見えてくるわけです。で、見えるからこそ、こういう風に持っていってこういう形で終わろうっていうように、面接一回一回を巧みに構成することができる。一番つまらない面接というのは「一時間何してたんやろ」というような面接ですね。セラピスト自身が面接を面白いと思えてこそ、相手にとってもいい面接になるんじゃなかろうか。今日のインタビューでも、話し手の僕がつまらんと思って話していたら、聞き手の君たちも楽しいわけないですからね。面接もきっとそう。セラピストが楽しくないと、クライアントが楽しいわけないと思う。

 

 (院生:高嶋)「先生の御著書の後ろのところで、藤山寛美がお好きって書いてありましたが何故ですか?」

 

 あの人はね、抜群の間(ま)があります。あの人の喜劇はテレビやビデオはもちろん生でも観にいきましたけどね、間を作るのが上手ですね。ドーンと引っ張って、ズバーっと落とす。その間合いが天才的。そこが大好きです。僕も実際の面接でも寛美さんの真似をしているわけじゃないけど、間を会話に役立てたいっていうのはずっとあります。上手な間は笑いとか泣きとかの感情を引き出しますね。間で寛美さんは観客の感情を上手に揺らすんです。そういうのが爆発的な感情を生むわけです。ああいうのは面接の中でもやっぱり、情感を引き出すテクニックとして活きると思います。そういう意味で、同業者じゃないけど寛美さんを尊敬していますね。

 

(院生:佐藤)「並行面接という構造をとる場合、システムという見方をとるのは難しいと思われますが、先生だったら並行面接においてどのようにシステムという見方を取られますか?」

 

 僕は原則として並行面接というやり方はしませんし、その意図もよくは知りませんが、伝統的な構造ではありますよね。で、やはりそうした構造においてシステム全体を把握するのは大変難しいですね。ただその面接で親と親を面接している担当者の間に、そして子どもと子どもを面接している担当者の間にそれぞれに何が起きているかをきっちり把握・理解していくことが大切だと思います。その意味で、その親面接担当者と子ども面接担当者の連携が大事ですね。カンファレンスを持って、それぞれがどういう意見を持っているのか、どういう考えを持っているか、情報共有する事を大変重視します。担当者同士の間でも何が起こっているか、これを把握するのも大事なところです。両担当者ともシステム理解が出来る人なら良いのですが、どちらか一方がシステム論者だと、もう一人の担当者からのどうでもよい情報にイライラさせられる事になるかもしれませんしね。もちろん相手もシステム論者の話すどうでもよい情報にイライラするのでしょうけれども(笑)。

 

<先生が気になるトピック、社会的なトピック、マイブーム、最近読まれた本、映画、音楽について教えてください。>

 

 僕は基本的に社交嫌いということもあり、家にこもって音楽をアナログ盤で聴くのが一番の楽しみです。聴く音楽はほとんど全部クラシックです。たまにジャズも聴くけども年に1枚聴くかどうか。とにかくデジタルが大嫌いで、CDを聴くと頭が痛くなるんですよ。アナログレコードの暖かみが最高ですね。今は蓄音機にも凝っています。1928年製のHMV163という機種ですが、これで音楽を聴くと気持ちがものすごく楽になりますよ。いやほんと。アナログレコード、LP盤とかSP盤はCDとは全然音が違います。雑音もまた心地よいのですよ。若いときにはもちろんLPを聴いていて、234歳のときに全部LP売り払って、それから約20年くらいCDを聴いてきましたが、そのうちライブ以外は音楽を聴かなくなりましてね。最初は理由がよくわからなかったのですが、数年前アナログ盤に再会してその理由が分かったんです。CDでは長時間聴くと頭が痛くなるんですがアナログ盤ではそれがありませんでした。それからLPを買い漁りました。LPでしたら朝から晩まで聴いていても疲れないですから、ほんとに。多分、CDは上下の周波数をカットしているんですが、そのせいで鼻詰まったような音がします。これで頭がボーッとするんですね。最近の子どもたちの諸問題は、ひょっとしてデジタル文化が関係してるんじゃないかと僕は睨んでいます(笑)。SP盤を子どもに聴かせることが、きっと心理療法に使えるんじゃないかって思いますね。新音楽療法! 絶対効果あると思います。僕自身が変わりましたから(笑)。誰か修論でやりませんか、音楽をCDで聴くこととLPで聴くことの情動への影響とかっていう研究を(笑)。それから、僕はだいたいLPレコード聴きますが、盤によって音が違うんです。同じ音源でも、例えば日本でプレスしたものもありますが、残念ながら音が悪い。CDよりは頭が痛くならないだけちょっとマシというレベル。やはり少々鼻に詰まった音。ところがたとえばイギリスのオリジナル盤を取り寄せて聴くとこれが非常にいい。音がすかっと抜けていて、まさに全体に音が生きている。取れ立てほやほやとう感じで、鮮度が高いわけです。ですから、僕の場合、「誰それの演奏したこの曲」とう推薦の仕方ではなく、「誰それの演奏したこの曲のこのプレス」とう形になります。「このレコードの音」を聴いてくれと。

 

<お勧めのレコードを教えてください。>

 

 僕が3日前に聴いて腰を抜かしたのが、バイオリニストのミッシャ・エルマンが1950年くらいにロンドンのデッカという会社に録音したモーツァルトのバイオリン協奏曲のオリジナル盤です。値段は秘密。それがものすごくいい音で入っているわけです。エルマンという人は、若いときからエルマン・トーンといって独特の甘い音を出す人なんですよ。しかしそのレコードを録音したときはもうお年寄りですから、ほんとにヨボヨボになってからですから、その曲を知っている人がいたらその演奏を聴いてびっくりすると思いますが、もう消え入るような演奏。ゆっくりゆっくりした、とろけてしまいそうな、夢見るような演奏。それが抜群の音質で聴けるんです。ほんとに天国的で素晴らしい体験。音楽を聴くにおいてこの経験をせずに死ぬのは一大損失です(笑)。だいたいイギリス・デッカのオリジナルは、モノラルの場合、LXTっていうシリーズで出ているんですが、古い録音でも音がいいんですね。ほんと、君らに聴かせたい! それと、さっきSP盤の話もしましたが、バイオリンは蓄音機で聴くのもいいんです。例えばフリッツ・クライスラーが1920年代にたくさん録音しています。今ではCDにもなっていますが、それを聴いたあとにSP盤で聴いたら大いにびっくりしますよ。目の前で弾いているみたいだって。だから、同じものでも条件を変えれば違うものが出てくる。うまくいけば本物が味わえる。それをねぇ、僕は道楽としているわけですよ。ある演奏をどのレコードで聴いたのか。CDで聴いたのかSPで聴いたのかLPで聴いたのか。LPで聴いたとしたらどのプレスで聴いたのか。そこでいくらでも議論が盛り上がる。その手の音楽評論とか書かせたらなんぼでも書きますよ。セラピーの本は書きにくいけど()

 


 

<最後に家族療法を学ぼうとしている人たちに一言お願いします。>

 

 異論もあるでしょうが、歳を取ると治療が下手になると思います。僕の場合、ピークは20代後半から30代でした。30代の10年間、特に35から40までが楽しかったですね。思う通りの事が出来た。40代前半はそれでもなんとかなっていましたが、45過ぎたら本当に力が落ちましたね。技術的なもの以上に体力的にね。やはりセラピーには体力がいるんです。でもこれは家族療法の特質なのかもしれませんけどね。以前は、5060になったら自分の人生経験の深まりに伴ってさらに良い面接ができるはずだと思っていましたが、そうでもないかなって、今は思っています。もちろん体力が落ちた分だけ経験でカバーできる部分はあるけど、失うものの方がはるかに大きい。若かったらもっと出来たはずだと思うことがしばしばありますね。落語でも年寄りがヨボヨボしゃべっていたら、それはそれで味わい深いって言う人がいますよね。さっきのエルマンもそうでしょう。僕も早くもそういう世界に入ってきているのかもしれませんが、当の本人は寂しいなって思うときもありましょ。だから君らに言いたいのは、若いうちに頑張れよと。家族療法ならなおさらですが、どんな方法論に立っていてもそうではないかと思います。やはり若い感性のいいときの、2030代、ここで仕事ができないとだめだと思います。僕はクラシック音楽を10代から聞いていますが、僕の友達に「クラシック音楽なんて歳を取ってから聴くよ。それで十分」と言った人がいました。もう50歳になりますが、今でもやっぱり聴いてないんですね。若い時にできないことは、歳を取ってからもできないんです。だからね、「そんなもんいつかできるわ」「あとでええわ」なんて思ったらいけません。「今すぐ」、です。だから若いうちに頑張れ、若人よ。・・・なんだかクラーク博士みたいになってきたな()

 

 

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