家族心理学研究者の第一人者にインタビュー

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  • 東北大学大学院教授
  • Mental Research Institute 日本代表
  • 日本家族心理学会常任理事
  • 宮城県臨床心理士会会長
 
<インタビューアー>
  • 東京都教育委員会 駒場優子
  • 家族心理.comスタッフ 池亀真司
 


(駒場)先生のご研究のテーマをわかりやすく説明をお願いいたします。

 僕は不登校の子どもとか家庭内で暴れている子供の臨床心理学をやっていたわけですね。もともとはフロイトの精神分析を勉強していたが、不登校や家庭内暴力の子どもの場合、本人が面接室に来ない。それでどうすればいいのか悩んでいて、そんなときに家族療法を知った。1986年。家族療法は本人を必ずしも必要としません。

 


 (池亀)  なぜ家族心理学/家族療法を選ばれ実践・研究しておられるのですか?

僕自身が文学部の心理学科出身で、学部時代・院生時代にずっと実験心理学(知覚の発達)をやっていたんですが、本音のところは臨床心理学をやりたかった。だけど、日本で臨床心理学という学問は肩身の狭い時代が長く続いたんです。学問ではないという風潮がありまして。
 しかし僕自身が自分自身のことで悩み、いかに生きるべきかだとか世の中の役に立ちたいということで臨床心理学を選びました。現在でも臨床心理学を、エビデンスベーストである実験心理学・一般心理学の中で肩を並べるぐらいの一人前の心理学にしたい。しかし現在の臨床心理学は、それと逆の立場ナラティヴベーストなところにおそらく戦略的に置いているように思います。僕は日常生活には両方必要だと思ったんです。それを何とかするために臨床心理学でも家族心理学を選んでいるわけです。
 アメリカで1984年に初めて学びますが、臨床心理学の中でも非常に明確に基礎的な研究でしっかりしているのが印象的でした。僕はそれを守り若い人達に伝えているつもりです。実際に日常生活で役立ちうるし、エビデンスベーストがしっかりある、それをやろうと。それが東北大に行くことで、研究面でも臨床面でも可能になったと思っています。また、僕の研究室になかなか気骨ある男気・女気のある学生さん達が集まってきました。彼らには二刀流(面接もできて基礎的な研究もできる、プラスアルファ認識論も学んでいる)でやってもらっていた。
 しかしまだまだだと思っています。今のところ二刀流でもいずれ示現流(九州の野太い剣道の流派で一刀流)でやってほしい。つまり、研究と臨床が密接に結びついた状態になってもらいたいですね。学会で発表していてもまだ最初の一歩というところです。僕はその方向(示現流)で今後やっていきたい。まだまだ60点くらい。
 家族心理学・家族療法を学ぶ上では、ベイトソンやヴィトゲンシュタインの哲学・現実に対する態度が家族心理学の中には脈々と流れていて、僕らはそれを継いでいこうという立場でやっていますね。

 


(駒場)(池亀)家族心理学/家族療法を学ぼうとしている学生や関心をもたれている方に一言お願いします

最初は二刀流でやってほしいと思います。家族面接もちゃんとできるし、理論的な研究もできる、そして認識論も学ぶということです。面接をやりながら色々な仮説が出てくると思うが、それを一般化できるような能力を備えてほしいと思う。
 そして両方備えるためには、もともと家族心理学/家族療法が生まれる背景にあったベイトソン、ヴィトゲンシュタイン、ワツラウィックが言おうとしているシステム論、社会構成主義、コミュニケーション理論というものを理解すればうまくつながるし、理解しないで両方やっていてもつまらない気がしますね。で、その二刀流をのちのち臨床の腕を上げながら一刀流に仕上げていくのです。

 (池亀) 理解するためには?

やっぱり僕は、今でもベイトソンやヴィトゲンシュタインは読んでいる。今でも開くし、傍にある。まるでクリスチャンの聖書のように。しかし、読むだけでは駄目で、面接も研究もやることですね。僕の経験では個人と個人の間に介入するというのが、理解できるまで暇がいるから。気長にやってください。学生に教えていると個人間への介入ということを理解するのに暇がかかるみたいだね。個人へのアプローチと個人間へのアプローチについて、だいぶ違うことが分かるまでが時間がかかる。分かれば簡単。そこまでなかなかいかへんね。のんびり頑張って下さい。

(駒場)精神分析療法から移ったきっかけを教えてください。

 さっきも言ったけれど、本人を必要としないというところ。これやね。ロジャースの来談者中心療法もフロイトの精神分析も本人が来談しないといけなくて、不登校とかには向いてない。家族療法は来談する人は家族なら誰でもいい。とはいえ、80年代はまだ家族療法では家族全員がそろわなければいけないみたいな、誤ったとらえられ方をしていたけれど。それは違うと今まで言い続けてきた。

 


(駒場):どのような問題意識から研究していらっしゃるのですか?

 同じ話だが、本人を必要としない。そういった本人を必要としないセラピーが日本にはなかっただけ。それは30代前半のころでした。

 


(駒場)先生の師は誰ですか?また影響を受けた人物は誰ですか?

 家族療法で、それも外国人の研究者で言えばポール・ワツラウィックとジョン・ウィークランド。この二人やね。それに何といっても、スティーブ・ド・シェーザー。彼には自分と同じことを考えている人がいる!という感じで出会った。僕自身、高校生時代に、家庭のことなどもあり、これから如何に生くべきやと悩みに悩んでた頃に、挙句それまでの16-7年の人生を省みて、最も生き甲斐を感じたことをノートの書き出すという方法を「発明」したんだ(笑い)。後年、僕が30歳代初めで出会ったスティーブ、彼は40代初めだったが、に理論化してもらった感じ。それに霜田静志に学んだ精神分析では自分のテーマを「治療抵抗」として来ていたんだ。でスティーブには、彼の「治療抵抗の死」という論文で、まず「出会った」。それから、ジョン先生に紹介をもらった。スティーブは「解決志向の言語学」をジョンに捧げている。また、家族療法以外では論理療法のアルバート・エリスの影響も大きいね。

 


 (池亀) 家族療法におけるユーモアについて
 
 大きいと思いますよ。ユーモアは。なかなか一言で言い切れないが、僕らが家族療法の中でいうユーモアはパラドックスでしょう。つまり、僕らが使うユーモアとパラドックスは同じ構造をしている。ユーモア=パラドックスではないが、ユーモアの中にはパラドックスのようなものがたくさんあるよね。日本の落語の中に。パラドックスが日常とかけ離れたものではなくて、どこでも転がっていますよと言ったのがヴィトゲンシュタイン。ヴィトゲンシュタインはラッセルのお弟子さんで数学者。ラッセルは数学的なパラドックスを言ったけれど、ヴィトゲンシュタインはそれを日常の中でも見られると言った。そのことをワツラウィック先生は治療の中で生かしていった。その人達の意思を僕らは受け継いでいるわけです。

 もう1つ言えば、ユーモアが理解できるかできないかというのは、精神的健康度を測る1つの重要な指標なんだよね。やっぱり病んでくるとなかなか笑えなくなるでしょう。非常に重要な問題を含んでいる。昔から哲学者はこれを取り上げる。去年亡くなったスティーブ・ドシェーザー、彼もユーモアが好きだったね。make jokeというのが彼の1つの趣味であったけれど、僕は彼に「日本には俳句という世界で一番短い俳句があって」と。俳句というのは、もともと俳諧と言われてjokeそのものなんだよ。俳諧というお笑いから俳句になっていった。俳諧というのは川柳と俳句に分かれていく。もともと混沌とした面白いものだった。パラドックスというものをうまく使えば短い中により多くのものを盛り込むことができるという意味で重要だということ。非常に深いですユーモアというものは。

 (池亀) ユーモアをセラピーの中に組み込むというのは斬新であると思うのですが。

ブリーフセラピーの中で僕が一生懸命強調したというのもあるけど(笑)。僕個人は、家族療法/ブリーフセラピーが最初ではなくて、もともとはアルバート・エリス。アルバート・エリスが治療で使っていて、僕はそこから(家族療法に)入った。僕は違和感なかった。もともとフロイト派の分析から入って論理療法など色々なものを勉強して、それから家族療法/ブリーフセラピーに収斂していった。だから、はっきりと前に打ち出したのがアルバート・エリス。それをもう少し巧妙に使い出したのがブリーフセラピーかもしれない。ちょっとわかりにくいんですよ。

 


 (池亀) ソリューションバンクについて

 家族療法/ブリーフセラピーの僕らなりの展開やね。日本で生まれた実験で、いじめで遺書を書いて自殺する子がいて、その報告をテレビ番組でやろうとした時に、臨床家として、こういうのを放送したらまたマネする子がいるなと思って、それを逆にできんかということを話し合って45分の番組を作った。いじめにあったけれども、なんとか生き延びましたという解決事例を集めた番組を。それが好評で、今度はテレビから紙面に移してやっていて。若島先生にも生田先生にもそれを伝えていただいていた。今日も河北新報で読んできた。面白かった。

 (池亀) インタラクショナルビューについて

 ベイトソンやヴィトゲンシュタイン(の理論)を治療上、それを臨床的な理論にする時に出てくるのがインタラクショナルビュー。これは僕らがはっきり継いでいる。ブリーフセラピーとは何かと一言で言うとインタラクショナルビューですよ。また、ソリューションフォーカストの主張は今はちょっと弱いけれど、もともとその上にあるんですね。ここのところを理解しないでソリューションフォーカストだけ、「良いとこ探し」やと思っていると全然違う。そうじゃなくて、インタラクショナルビューの上に良循環を探さないと生きない。大体どっちかだけやっているとうまくいかない。同時に進めていく。始めたときはソリューションフォーカストが駄目ならMRIにしていたが、ある時気がついたんだけど、「どっちもやっていけばいいんだ」って。「こんな簡単なことどうして気づかなかったんだ」って。なかなか気がつかなかったんだよ。

 (池亀) 二重記述について

 二重記述という名前をつけたのはベイトソンなんだよね。同じ対象を違う側面から見ていく。臨床家がある問題を聴いた時に、両方のアプローチを進めていき、介入に同じようなものが考えられた時には大抵うまくいく。それを何回か経験して、両方とも同じ結果に行けば大抵うまくいくことをよく経験した。

 (池亀) 非言語について

 これは重要だよね。言語を支えているのは非言語だということ。いまナラティヴアプローチが優勢の中で、ちょっと言語主義になっている。これはこれでいいんだけれど、非言語のほうが難しいわけです。ブリーフセラピーに関する研究は非言語のものが圧倒的。その研究の一端が『臨床の語用論』にまとまっている。非常に重要です。だから、非言語にしろコミュニケーションにしろなかなか難しいテーマだけれど、特に家族との合同面接の時には決定的なポイントになる。
 非言語の持つ意味とは、言語的なものを除いては意味は決まらない。ウィンクするのでも恋人同士で楽しく話をしている時と、風の強い日に話しをしている時のとでは全然意味が違う。お互い切り離せない。ユーモアにしろ非言語にしろ昔から関心はあるが、難しくて。だけど、僕らは臨床家としてその難しいものを説明なしで(臨床上で)使えるところがまた面白い。
 言葉というものが持っている非常に複雑なもの。言語が必要ではないというわけではなく、非言語を含めた言語が大事ですよということ。ただ多くの治療は言語に頼り、みんな言語化させる。西洋的だよね。日本人はあまりしゃべらないし、「しゃべらないままぐっとできんか」というのが。たぶん日本人にとってはしゃべらないまま介入ができれば、一番スマートなブリーフの介入だと思います。だから、ブリーフセラピーがアメリカで生まれて、ほとんどいちいち言葉にさせているところが僕から見るとまだまだ西洋的かなと思う。僕らは、できるだけそうしないで、いければ良いなということです。
 といっても言葉は重要。自分の嫁さんと何とかしようと思うと戦略的に言葉にしないと負けるね(笑)。非言語でいくとなかなかうまくいかない。自分のとこに関してはね。

 


 (池亀) ナラティヴセラピーについて
 
 
僕とまったく同年齢のホワイト、彼もMRIの影響が大きくベイトソンをよく読んでいた人ですワツラウィックが最初、ダーウィンが中心人物しかし、僕から言わせればちょっとつまらなくしている感じがあるね。ナラティヴが悪いわけではなくて、言語主義になっている。いちいち言葉にしているから、それは違うと。言葉にしなくたって言葉はあるわけで。そのまま形でなんとかしていくというのが、家族療法のもともとの1番おいしい、1番すばらしい、1番最高の産物なのにわざわざそれを捨てて言葉にしているというのが、今のナラティヴセラピーを中心とする時代で、そこで足をすくわれると損をする。

 (池亀) なぜ、ナラティヴセラピーが出現してきたのか。

 2つあると思う。1つは、日本でもともと勢力が強いのは精神分析、ロジャーズなどであり。こういう人達は物語というかその辺が一番のポイントになりますから。それに家族療法から出てきたナラティヴセラピーというのが合致したというかね。受け入れやすかった。「いままで家族療法って何かよくわからなかったが、ナラティヴと言われ自分達も近づけるじゃないか」と。僕自身もそういうところがありますね。もともと言葉のことをラディカルに良く考えているのはMRIを中心とするブリーフセラピー。それはなぜか。ベイトソン、ワツラウィック、ヴィトゲンシュタインが言ったから。治療はともかく基礎的な研究にポイントを置かないと損をする。ドシェーザー、インス・キムバーグ、ナラティヴのアンダーソンもそこの出身だからね。日本の合気道も柔術を勉強したらよくわかったと。

 


 (駒場)最近の社会問題で気になるテーマを一つあげてください。

 まぁ、二つあるね。まずDV。あと、老人、高齢者の心理的問題、心理問題というのは脳の問題も含めた心理の問題、正確に言えば、高齢者を抱えた家族にまつわる問題だと思う。

 (駒場)具体的にはDVのどのような問題に関してでしょうか?

 不登校や子どもが暴れることに対して、家族療法はやってきたでしょ。大人が暴れてきたことを家族療法自体に乗せるのが難しいね。まだ、子どもが暴れていて親に来てもらう方がやりやすい。親が暴れていて、親本人や子どもが来て相談をすることは難しい。

 


(駒場)(池亀)お薦めの本を教えてください。

まずは、若島孔文・生田倫子の『ブリーフセラピーの登竜門』。それから、黒田りょうの「勘の研究」。これはいい本だね。
 僕が去年出した『臨床の語用論』と『ソリューションバンク』。『ソリューションバンク』が実践だとすると、『臨床の語用論』が実証研究の結晶です。

 (池亀) 僕もソリューションバンクを読みましたが簡単に開けそうなのに深いですね。

 一見軽そうに見えるけど意外と重く深いと思ってもらえるとうれしいですね。僕らはそれを目指している。だぶん僕らの美学と言ってもいいでしょう。ワツラウィックであり、ジョン・ウイークランドもそうですが。

 (駒場)(池亀)最後にもう一度、家族心理学/家族療法を学ぼうとしている学生や関心をもたれている方に一言お願いします

二刀流だとおもいますね。家族面接もきちんとできて、その中で出てきた仮説を一般化できるような研究能力を身につけるようになってほしいですね。それをエビデンスベーストに乗せていく。面接はナラティヴに重点を置かざるを得ないけれども、それを乗せていく。結局、両方やらなきゃいけないということだね。まだまだ臨床心理学は力が弱い。学問と認めない人は認めないから。その中でも家族心理学/家族療法はもっと認めないから。それを心理学の中で学問としていく。そのためには、実践も研究もやれる二刀流でやっていかないと。二刀流でやり、いずれは示現流でやれたらいいなと。

 


 

大学院紹介

 まずは、英語力などの基本的学力を持っていること、これがないと英語の論文を読み薦めていくことが出来ません。そして心理学についての総合的な習得と、研究に関する能力を持っていないと難しいと思います。そして、人間的に幅の広い人材を望みます。例えば、私の研究室でゼミ生が行っている「人間システム研究会」、これに耐えていけることを望んでいます(笑)。人間システム研究会は、心理療法の理論的バックボーンとなっている「現代思想」についての理解を深める研究会です。現代思想と心理療法というのは、論理階梯の高いところでつながっています。その妙を味わいながら心理療法を理解することは、深い理解につながっていくのです。このように、一見心理療法に関係なく思えるものにでも、知的好奇心を深くもつこと出来る方がいいですね。また私のゼミには、いわゆる問題校といわれるような中学校や高校からのスクールカウンセラーの派遣依頼が多く寄せられます。そのような学校でカウンセラーとして役立つためには、協調性やカウンセリング能力ももちろんのこと、「気力」「根性」「我慢」が求められることも多いものです。しかし決して一人で乗り越えようとするのではなく、ケースカンファレンスやクリニカル・サイコロジー研究会などでオープンに周りの助けを借りて乗り越えていけることが必要です。

 

 

 

 

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