家族心理学研究者の第一人者にインタビュー

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dannshirou 

 立命館大学大学院教授 団 士郎先生

(先生の御所属はインタビューがされた当時のものです。)

   メインインタビュアー  京都教育大学講師  花田里欧子

 

 

 

 

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<研究領域・テーマを教えてください>

 

研究をしている意識は少ないですが、近接領域の人たちの「家族理解」が深まるトレーニングに一番関心があります。慢性化する症状群や、障害児()問題、高齢者問題とその家族の関係には、中核の症状だけではない様々な課題があります。つまり暮らしの一部になった家族全体が抱えた困難があるのです。一方、厳密にいえば「治療」は症状という限られた領域に対する回復のための特殊技能で、そこには細分化された優れた専門性が求められています。
 そんな中で現実の人生はというと、たとえ完全に治ることがなくても続いていくのですから、未解決事項を抱えながら、少しはましに生きていくために何ができるかが大切になってきます。
 治してくれる人に頼って生きるより、理解してくれる人に支えられて生きるというのが多くの人間に当てはまる在りようではないかと考えますから、私のスタンスは治すためのアプローチではなく、理解するためのアプローチになるわけです。自分自身が問題を抱えた時にも、そのことをきちんと理解していると目標を誤らないと思います。
 問題を抱えた家族員が、いかに生きるかを選択して動き始めるために、まず「家族とはどういうものか」、「どうパートナーシップを結んでいけたらいいのか」等を理解してもらうことが大切になります。

 

<先生の恩師は?>

 

心理臨床でいうと、ロールシャッハテスト(阪大法)を教えてくださった辻悟先生。数年間、講座や事例研究会に通い続けたことである日、目が開くようにアセスメントに関して自分がしていることの安心感、安定感が持てるようになりました。それから、ロジャーズのPCAグループで初めて会った平木典子先生。初めてのエンカウンターグループで目覚めたものに関心を持ち続けながら、児童相談所の心理臨床業務に関わる内に、「家族」という避けがたい大物にぶつかりました。そして家族療法の世界に歩み始めたら、訓練受講の事前学習に指定された一冊目のテキストの訳者として平木さんに再会しました。この仕事をしてきた流れでいえば、平木さんは転機に確信が持てるよう応援してもらった人という感じです。

 

Q:家族療法に出会うきっかけになったのは?

 

GION・D・シメオン先生が京都国際社会福祉センターで企画された二年間の家族療法訓練が始まりです。1987年頃のことで、この出会いが現在に繋がるようになるなんて、ほとんど自覚のない経過でした。当時の児童相談所の仕事(こんな風に断らなければならなくなってしまったのは昨今、児童虐待対応一色にならざるを得ない不幸をあの業界が背負っているからですが)は、児童本人と親指導という二本立てでした。心理職が子どもを、児童福祉司が親指導という、長年にわたる分業体制がありました。
 そこに切り込んで合同家族面接を導入していったのです。だから、家族療法と合同家族面接はイコールではありませんでしたが、私達の所ではこだわりました。今も児童福祉系の心理臨床において合同家族面接はかなり有効だと思っています。
 シメオン先生は実習訓練を中心に、構造的家族療法と戦略的家族療法のことを教えてくださったと思うのですが、あまり理屈では分かってなかったと思います。とにかく業務対象者家族に直ぐに役に立ったので信じた感じです。()

 

Q:最近、ナラティブがはやっていますが?

 

 ナラティブ話というのは、確かに人間の行動の説明として面白いと思っているけれど、ある年度の家族療法学会の発表タイトルのように、横並び一色になられると、何でもかんでもナラティブか・・・とは思いましたね。業界内流行語や、~派の波を読んで、素早く時流に乗るなんてことしなくてもいいんだけどなぁと思います。みんなで似たようなこと言ってなくてもいい。実利があったらブランドはいらないし、実効がなければ説明は空しいでしょう。
 私は自分のしていることに新しいものを寄せ集めてくっつけて、我流でやっているなぁと思います。そこではナラティヴの考え方は使えるものの一つです。

 

Q:最近の社会問題について

 

家族内の事件で世間が口やかましい事態にとても憤りを感じています。外の世界はともかく、家族内で加害、被害関係を作り出さない用意はできるのになぁと思います。そのためにも社会が、事件が起こってから対策をあれこれ議論するのではなく、家族の健全モデルを意識した取り組みが進められなければならないと思います。
 「病気の人をどう治すか」という話をいくらしても「病気にならないためにはどうすればよいか」という話とは違います。「事件は起こる」という前提が前面に出すぎると、私達が幸せに暮らしたいと思っていることと目標設定の段階で食い違ってしまう。居場所確認のために子供用携帯電話をとPRする社会は、目標設定がやっぱりおかしいと思いますよ。
 家族のことは誰かの責任(直線的因果論)で説明できることではなく、家族は生き物で流動的だし、「絶対的にこう」というものもない。そう考えられたら、些細なことが起きるたびにビックリしたりしないでしょう。むしろ自分で自分を簡単に死なせないためには、そこそこのリスクは経験しておかなくちゃと思います。
 社会が装置として安全性を高めれば高めるほど、個人としての自己防衛能力は落ちるものです。随分昔に出版された「ランチタイムの経済学」という本に書かれていた、「車の安全性をどれだけ高めても事故は減らない」。「車を不安定にした方が、危なくてスピードを出す人は減るから事故も減るだろう」には笑いました。車の運転をしない私は、その意見に賛成なわけです。システム論の発想って、漫画家のひねり思考と共通しているところがあるかもしれません。

 

<家族心理学を学ぼうとしている学生や関心をもたれている方へ

 

「家族」のことが分かるというのは絶対的な力になります。例えばDV当事者だって、家族のことを知らないから繰り返してしまうのです。男女関係の繰り返しばかりで、家族力動の学びのない人は、離婚再婚を繰り返すしかないでしょう。
 家族というものは、とってもアンバランスで、一見とても「不公平分担」。たとえば貴方の親は、投資した分の見返りを確信して子どもの学資を出したりしてはいないです。隣家の賢い子に学費は払わないけど、賢くなくても自分の息子には学費を払う()。それくらい主観的で不公平なサービスをしあうのが家族。
 そういうものがどんな風に作られているのかということが分かると、まず自分の家族マネージメントが上手くなります。それで喧嘩はしない方がいいとは思わなくなります。夫婦にとって喧嘩はつきもの、子どもにとって反抗期はつきもの、親は子どもにうるさいもの等とね。
 だから、「友達親子」でいたいとか、「子どもに全面的に好かれたい」などとよこしまな欲望を持つことが、事態を歪めます。嫁姑の仲は悪いのは普通で、無理に仲良くしようというのは怖い綱渡りをしているようなもの。そういうことが分かってくると、大変だけど面白い。そう思うからこそやってみようと考えられるのではないかな。
 だからまず、家族療法というよりも家族理解ですね。家族のシステムが理解できたら、おのずと類似したメカニズムを持つ職場システムや小集団システムも、理解して扱えるようになる。そして自分の家族作りもちょこっと賢くできるようになる。
 自分の学んだことが誰かの役に立つというのは大切なことだと思う。家族療法は同時に自分自身にも役に立つことがたくさんあるから、そこが面白いところ。こんな実利的なことはアカデミズムの中になかなかないよ。
 不合理でアンバランスな「家族」ではあるけれど、何も起こらない小説は、小説じゃないでしょ。山あり谷ありを作り出しているのは家族のアンバランスさだろう。しかも、ずっと強い人、弱い人は居ないんだから。そういうことを理解した上で、「これが私の家族です」、「これがウチの宝です」などと20年後、30年後に分かってくる。家族というのはうっとうしいけれど、長く暮らしていくのは面白いと思うよ()

 

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