カウンセリングトレーニング体験記 in U.S.A (MRI)

 

敦賀直子

 

 


 

◯はじめに

夫の仕事の都合で2年間アメリカに住んでいた際に、現地でいくつかのトレーニングに参加しました。

一つ目は、カリフォルニア州パロアルトのMRI(Mental Research Institute)にて、戦略的家族療法トレーニングとブリーフセラピートレーニング。
二つ目はニューヨーク州マンハッタンにて、MRIラティーノブリーフセラピーセンターの創立者の一人であるバーバラ・アンガー先生の娘さんの、カタリーナ・アンガー先生によるグループスーパービジョン。
三つ目はアリゾナ州フィニックスにて、ミルトン・H・エリクソン財団主催のエリクソニアンアプローチによる催眠療法トレーニング。

以下は、英語力も臨床経験も半端者の私が、とてつもない不安を抱えながら体当たりで挑んだ、トレーニング体験記です。

 

 


 

〇MRIでのトレーニング

 2010年4月にMRIで、2日間の戦略的家族療法トレーニングと3日間のブリーフセラピートレーニングに参加しました。MRIのあるパロアルトは、シリコンバレーと呼ばれる地域で、近隣にはグーグルやアップルといった先進的な大企業が軒を連ねています。MRIから車で5分ほどの場所にはスタンフォード大学が門を構え、知的イノベーションが生まれる開放的な雰囲気が漂っています。MRIの周りは、中流以上の富裕層の閑静な住宅地で、豊かに茂った並木が道に木陰を作り、小奇麗な家々の建物にはツタが絡み、庭先は花で溢れかえっています。MRIの建物にも色とりどりのバラの花が覆って優しい香りを放ち、落ち着いた平和な雰囲気を醸し出していました。

<裏から見たMRIの建物。>

 


①戦略的家族療法トレーニング

 まずは2日間、戦略的家族療法研究所所長のアイリーン・バブロウ(Eileen Bablow)先生による戦略的家族療法のトレーニングでした。沢山の資料を基にしたレクチャーの合間に、昔のセッションのビデオを鑑賞したり質疑応答したりする講義形式でした。

 印象的だったのは、根幹に脈々と流れる確固とした家族観・治療構造観のようなものでした。

講義の中で「人生の楽しさを教えさえすれば子は育つ」という発言があったり、治療の中で子どもへの愛情表現をカウンセラーがモデルになって親に練習させたりする親業トレーニングがよく活用されることなどがその一例です。ビデオでは、3人兄弟の家族のIP(Identified Patient:患者と見なされた人)を含む合同面接の中で、「問題はギフトで、IPはスケープゴートです。スケープゴートを引き受けたIPは、家族の中で一番親切で優しいと言えるのだから、兄弟はIPに感謝すべきです。そうでなければ、別の誰かが代わりに問題を起こすことになるところだったのだから。」と、兄弟に言い聞かせてIPと握手させるシーンがあったり、セラピーの宿題(介入課題)を誰かに書き取らせ、コピーして全員に配り、セラピスト(以下Th)が証人としてサインするシーンがあったりしました。治療者がファシリテーターとなって、家族のより良いあり方を目指して儀式的な介入を積極的に行っていたのが印象的でした。

 

 <MRIのトレーニング会場。後ろの壁には創設者達の写真が飾られている。>


②ブリーフセラピートレーニング

 次の3日間のブリーフセラピートレーニングは、カタリーナ・アンガー(Katharina Anger)先生をニューヨークから講師に迎え、ワーク尽くしの日程でした。初日の午前中にブリーフセラピーの歴史と基本原理に関する講義を聞き、午後からはさっそくワークがスタートです。「ニューヨーカーは大抵そうなんだけど、私もよく人から早口だと言われるから、もし話すスピードが速すぎると思ったら遠慮なく言ってね。」とご本人がおっしゃる通り、立て板に水のごとく繰り出されるニューヨーク英語に、インタラクティブな講義内容も加わって、ついていくのに必死でした。

 トレーニング最終日のことです。前日から何となく様子がおかしかった心理学のPh.Dコース卒業予定のイタリア人の女の子が、ポロポロ涙をこぼし始めました。濃すぎる講義の内容についていけなくなって(英語力の問題ではなく)無力感に苛まれてしまったらしいのです。周りがどんなに優しい言葉で励ましても、「No…I can’t…」と泣くばかり。確かに、後半は実際のケースに基づいたロールプレイづくしになって、メンバー全員にひしひしと恐怖感が漂っていました。それは私も例外ではありません。むしろ英語への苦手意識を抱えながらのロールプレイは、ほぼ拷問に近い物がありました。しかし、せっかく参加したからには当たって砕けようと心に決め、他のメンバーが及び腰なのをいいことに、チャンスを見つけてはロールプレイに立候補し、結果的に他の人より沢山やらせていただくことができました。

 ロールプレイの中で特に役立ったのが、介入のセールスの仕方を考えるものです。

私自身これまで、絶妙な介入のアイディアを思いついたにもかかわらず、売り込み方を失敗したせいでクライアント(以下Cl)にやってきてもらえずに悔しい思いをした経験があったからです。カタリーナ先生曰く、「自分のほとんどの介入は大してクリエイティブではない退屈なものだけれど、それをどう売り込むかというセールストークが大切なのだ。」ということでした。確かに彼女の介入は、Clに寄り添った絶妙な言語・非言語が駆使されていて、繊細で柔らかな印象を受けました。私も、どんな売り込み方をすればClにとって魅力的で腑に落ちるのか、Clのポジション(価値観や性格)を見極めることに神経を注ぐ訓練をロールプレイで繰り返しました。介入のセールスは些細なことの様で奥が深く、セラピーの行方を左右する重要な技術であることを改めて実感しました。

 

<MRIにて。中央がカタリーナ先生。>

 


③多領域からの生徒陣


 トレーニング全体を通して興味深かったのは、参加者のバックグラウンドが多種多様だったことです。カウンセラー、精神科医、ソーシャルワーカー、心理学の学生はもちろんのこと、弁護士や人事担当者も数名参加していたのが印象的でした。特に人事の分野で、組織をマネジメントする方法としてMRIモデルが注目されているのだそうです。創立50周年を迎えたMRIにふさわしい、多分野における認知度の高まりを感じました。

 MRI創立当初からカウンセリング技術の確立にしのぎを削った偉人達が次々と他界していく中で、現在MRIの中には戦略的家族療法センター、ブリーフセラピーセンター、ラティーノブリーフセラピーセンターの3つが残るのみとなりました。各所長も常駐しておらず、全盛期と比べ少し寂しくなったように感じられます。しかし、今回のトレーニングを体験した後に改めて感じたのは、第一世代が発明した革命的なMRIモデルという道具を手にした第二世代が、色々な場所に散らばってその使い方を洗練させ、それを別の国や別の分野に広げている真っ最中だということです。それぞれの場所で活動している臨床家の技術は当時よりも質が高くなったことでしょうし、それぞれの持ち味が加わって、道具の使い方にも様々なバリエーションの工夫が生まれているように感じました。

  



④戦略的家族療法とブリーフセラピー


 トレーニングに参加するまで、私の中で家族療法とブリーフセラピーはほぼ同義の概念であり、それぞれのトレーニングを受けることで、両者の違いをどのように感じるのか興味がありました。トレーニングを受けてみて感じたのは以下のようなことです。
 戦略的家族療法は、ボーエンやミニューチンやアッカーマンの唱えた家族の「構造」を土台にしており、「望ましい家族のあり方」に対する治療者の確固とした価値観を元に治療を導く印象を受けました。また、できるかぎり家族合同面接で、関係者全員の相互作用を扱うことを目指していました。セラピーの空間にはどことなく懐かしい家族の雰囲気が流れ、セラピスト自身が頼れる親や知的な兄姉のような存在として機能しているかのようでした。
 一方ブリーフセラピーは、治療者が特定の価値観にとらわれることを徹底的に避け、“non-judgemental”で中立な立場を目指す印象を受けました。また、コンプレイナント(不満を訴える人)のみに働きかける必要最小限の介入を目指していました。どちらかというとドライで現代的な雰囲気が漂い、治療者も純粋に問題そのものにアプローチしていく職人のような印象を受けました。
 今まで教科書の中で何となく理解していた家族療法とブリーフセラピーのそれぞれのスタンスの違いを、今回の両トレーニングを通じて肌で感じることができたことは、とても有意義であったと思っています。

 


 

2. ニューヨークでのグループスーパービジョン

MRIのトレーニングで一目惚れしたカタリーナ先生のトレーニングを受けるために、同年7月今度はニューヨークに旅立ちました。真夏のニューヨークは蒸し暑く、じっとしていても汗がにじんで、日本の夏に似ていました。様々な種類のエネルギーが溢れるマンハッタンは魅力的でワクワクしました。

<マンハッタンの街並み(5thアベニュー)。>



①濃厚なトレーニング

カタリーナ先生と同じくセラピストであるご主人の、おしゃれできれいなマンハッタンのオフィスがトレーニング会場です。参加者は、ニューヨーク生まれのアメリカ人、ポルトガル系アメリカ人、シンガポール人、私の4名でした。少人数のスーパービジョン形式で、みっちりロールプレイやディスカッションをしました。カタリーナは、「やりたいことが沢山あるから時間がもったいない」と言ってお昼休憩を取りません。出前を注文して、みんなで食べながらトレーニング続行です。ニューヨーカーの超高速マシンガントークと、ポルトガル&シンガポール訛りの英語に集中し続けるのはかなり疲れました。私以外は皆ネイティブスピーカーということもあり、情けない気持ちも味わいました。しかし、今の自分の姿でベストを尽くすしかないと開き直って、積極的に質問やコメントを出す努力をしました。

<カタリーナ先生のトレーニングの会場。アッパーイーストサイドにある、カタリーナ先生のご主人のオフィスの一室をお借りした。>
アメリカらしいと感じたのは、外部から実際のクライアントを呼び、目の前でカタリーナ先生の面接を見せていただいたことです。クライアントの問題はかなり複雑で、涙ながらのデモンストレーションでしたが、それでも私達初対面の研修生達の前で堂々と自己開示して語る様子に、日本とのカルチャーギャップを感じました。おかげでとてもリアルにカタリーナ先生の妙技を味わうことができました。

 



②ブリーフセラピー再考

 それまでの私は、家族療法やブリーフセラピーにどちらかというとトリッキーでユニークなイメージを持っていて、いかにクリエイティブな介入方法を考えるかに神経を注いでいた気がします。斬新な介入を考えられないことはブリーフセラピストとしては未熟なようにどこかで感じていました。

しかしカタリーナ先生のアプローチを見ていて感じたのは、トリッキーさやユニークさよりもむしろ、繊細さや柔らかさでした。彼女自身も「私の介入の70%は平凡でつまらない」と言い、研修中のロールプレイでもほとんどがリフレイミングするだけだったり、新しいストーリーを提案するだけだったりで、決して無理強いせず、クライアント自身の洞察や変化の力を信じて委ねている感じでした。私も介入のアイディア自体は思いつくものの、それを売り込む際のクライアントのポジションに対する鋭い観察眼や、それに寄り添った絶妙な言語・非言語は、ある意味ちょっと日本的で繊細な職人技と感じました。

ブリーフセラピーの原理に基づいて変化を起こすという柱が絶対にぶれないカタリーナ先生に、何故そんなにブリーフセラピーの力を信じられるのか疑問をぶつけてみました。「ごめんね~(笑)そうなの、私は完璧に信じてるの。ほんとごめんね~(笑)」と冗談交じりで言い切る先生。彼女曰く、「引き出しは多ければ多い方がいい。どんな流派の知識でも、ブリーフの文脈で活用すればいい。」ということで、実は彼女自身も、ブリーフセラピーと出会う前は精神分析の訓練を受けており、今でも新しい療法を見つけるとどんどん学びに行くそうです。

カタリーナ先生が過去に経験した、巨体の黒人男性とのセッションの話が印象に残っています。その男性は時々理性を失ってカウンセラーを脅してみたりするため、これまで何人もの担当者が関わりを中断していました。その彼がカタリーナ先生のもとに紹介されてきた時、同僚の誰もが止めようとしたにも関わらず、彼女は彼を患者として引き受けました。ある日面接中に感情的になったその男性患者が「殺してやる!」とカタリーナ先生に詰め寄ったそうです。内心恐怖を感じて逃避経路を確認しながらも、彼女はひるまずに自分の腕を相手につかませ、こう言ったそうです。「ほら見て。どう?あなたの腕とこんなに太さが違うでしょ?あなたが私を殺す気になったら一瞬で殺せるよ。どうぞ、殺してごらん。」すると男性患者は落ち着きを取り戻したそうです。カタリーナ先生のブリーフセラピストとしての強いプロ根性を感じました。




③アメリカのシステミックな治療体勢


<トレーニング後にお酒をおごっていただきながら、トレーニングのフィードバック。褒めてばかりいたら、「それでは私のためにならないからマイナスの意見もほしい」と言われた。>

トレーニング終了後、彼女のオフィスに招待していただくことになりました。Center for Systemic Actionという治療機関で、YAI(Young Adult Institute)という全米最大の医療組織に併設されていました。YAIは病院、歯科、発達障害の相談機関、職業訓練施設、デイケアサービスなど、ありとあらゆるサービスが一箇所で受けられる複合医療施設で、15年前からそこのクリニックで働いていたカタリーナ先生は、数年前にセンター内の一室にオフィスを構え、連携しながらセラピーを提供しているそうです。アメリカにはこのようなシステミックな複合施設が沢山あるそうで、日本にももっとこんな施設が増えたらと羨ましく感じました。
そして彼女のご好意で、YAIのスタッフ10数名の前で急遽、私の過去の困難ケースを題材にロールプレイをすることになりました。かなり緊張して恥もかきましたが、それ以上に実りのあるありがたいチャンスをいただき、最後まで盛り沢山のトレーニングでした。




3. エリクソンの催眠トレーニング

最後にアリゾナ州フィニックスで、ミルトン・H・エリクソン財団が主催する催眠療法のトレーニングに参加してきました。2010年2月に2週間の初級編と中級編、同年8月に1週間の上級編の、計3週間のトレーニングでした。我が家のあるカリフォルニアから車で7?9時間、だだっ広い砂漠の中のまっすぐな一本道を一人でひた走り、フィニックスに到着しました。8月に行った際は最高気温42℃、今まで経験したことのない熱風が吹き荒れていました。それでもフィニックスの街には、素朴で温かいネイティブアメリカンの文化が根付き、街のいたるところに愛嬌のある形のサボテンが生え、アットホームな優しい雰囲気を醸し出して、私を癒してくれました。

<フィニックス市街。可愛らしいネイティブアメリカンの絵がデザインされた街灯と近代的な建物が立ち並ぶ。>


①世界中のプロ集団の中で苦戦

 

トレーニングの講師は、ブレント・ゲリー(Brent B. Geary)先生はじめ、エリクソンの直弟子として沢山の著書が日本語訳されているジェフリー・ザイグ(Jeffrey K. Zeig)先生、その奥さんのリリアン・ザイグ(Lillian B. Zeig)先生でした。私にとってはかなりハードルの高いトレーニングになりそうだったため、事前にエリクソン関連の本を読んだり、英語の勉強をしたりして備えました。

トレーニング参加者は、アメリカ・カナダ・イングランド・フランス・イタリア・ドイツ・スペイン・ルクセンブルグ・ベルギー・ポーランド・ハンガリー・ルーマニア・南アフリカ・イスラエル・インド・オーストラリア・台湾と全世界から色々な人種が集まっていました。職種も、セラピストはもちろん、精神科医、ソーシャルワーカー、研究者など、ベテランの年代の方が目立ち、ただでさえ清水の舞台から飛び降りる覚悟で参加していた私に更に緊張感が高まりました。ペアになって催眠誘導し合う色々な課題が出されましたが、課題をきちんと理解して英語でこなせるのか不安で、その度に心臓がつぶれそうになって嫌な汗をかきました。ペアを組んでくれた人の催眠現象を実体験するチャンスを、私の英語が意味不明なせいで奪ったら嫌だというプレッシャーの下、新しい表現を聞く度にメモして真似して使い、動かない頭をフル回転して、なるべく発音良く淀みなく話す必死の努力をしました。講義自体も、エリクソンの繊細な言葉遣いを勉強するために所々禅問答のように難しく苦しみましたが、二日目からは前もってプリントをもらって予習をしたので、何とか講義についていけるようになりました。最後には開き直るしかありません。「混乱技法」にこっちが大混乱しながらも「私はナチュラル混乱技法を使うから(笑)」とごまかして何とか乗り切り、脳みそがグツグツ煮えたぎるようなスリリングな日々を過ごしました。



<トレーニング会場。毎日9:00から17:00までここに缶詰になっていた。>



②実践づくしの3週間

トレーニングはワーク中心で内容が濃く、とても全ては書ききれませんが、その中でいくつか印象に残ったものを紹介します。

アムネシア(健忘)という、催眠中の出来事の一部を忘れさせる技法の練習の時間のことです。私がセラピスト役になって、ペアを組んでいるパートナーをトランス状態に導いた後、三種類の思い出話を特殊な方法で語り、仮説通りであれば3つ目のお話を忘れるだろうという課題でした。大きなプレッシャーの下何とか順調に手順を進め、最後に三種類の話を思い出してもらったところ、見事に3つ目のお話だけどうしても思い出せないとパートナーが頭を抱えました。話の存在は覚えているのに、壁に遮られたように内容が思い出せないというのです。やった!成功!後で、こんな話をしたよと種明かしをすると「あ~!思い出した!」と驚いていました。

グローブアネステシア(手袋をはめたように手の感覚が麻痺する)という実習では、私がクライアント役になって面白い体験をしました。パートナーに催眠誘導され、冷凍庫の中を掃除した時や、中の物を直接触って取り出した時の冷たさによって手が麻痺する様子をイメージする暗示が繰り返されました。その後両手の平をペンの先で突いてみて、成功ならばどちらかの感覚が麻痺しているはずでしたが、残念ながら左右で違いは感じられませんでした。しかし暗示は確実に私の身体感覚に影響を与えていたのです。自分の右手がまるで長時間冷たい物を触り続けた後のように冷たく感じられ、芯から冷えた感覚がしばらく続いていました。イメージの力に寄って主観的感覚が変化するということを実感した、不思議な体験でした。

<トレーニング後の打ち上げの様子。中央奥の黒シャツの男性がザイグ先生、前列紫色のシャツの女性がリリアン先生、その左隣が私。>



③トレーニングの成果

そしてトレーニングが終盤にさしかかったある日、学びの集大成となるような出来事が起こりました。その日数人と催眠の練習をする約束をして朝早めに集まっていました。私はアメリカ人とペアを組み、先にセラピスト役で練習することになりました。しかし開始早々、2日前に実際に起きた彼の問題が予想外に重い問題だということが分かりました。練習のためのロールプレイで、ましてや朝の慌しい時間ではとても扱いきれそうにない。そこでその場は情報収集だけさせてもらって、トレーニング後に改めてじっくり時間を設けることを提案しました。アメリカ人相手に英語でリアルケースを催眠療法・・・・そんな恐ろしいシチュエーションに、正直逃げ出したい気持ちでいっぱいでしたが、空き時間を全部使って死に物狂いでセッションの計画を立てました。朝に聞いた情報を元に方針を固め、英語の細かい表現を考え、後は何が出てきても臨機応変に対応できると自分に言い聞かせました。

そして本番。こちらが不安な様子を見せてはいけないので、落ち着いて自信を持ってセッションを始めました。トランス状態で出て来たイメージは、深く地面を裂いた谷。その谷底に広がる象徴的なモニュメント。そのイメージを丁寧に共有しながら、後は普段のカウンセリングの感覚で、イメージの中で谷底と上を行き来したり、モニュメントを眺めながら自分の感覚を観察してもらったり、そこで何をしたいか考えてやってもらったり、その場所に名前を付けてもらったりしました。意外にも、流れが軌道に乗ってからは、冷静に、臨機応変に流れをリードすることができました。彼も何度もうなずいたり、目頭を熱くしたり、何ともいえない表情を浮かべていました。何より私自身が、好奇心を持って一瞬一瞬を味わうことができました。

終了後、彼は心から感謝してくれました。今まで深い谷にただ怯えていたのに、私が隣に付き添っている感覚で安心して谷底に降りて行くことができ、好きな時に行き来することができることを知り、意味のある大切な場所に変化したそうです。彼は私の自信につながる言葉をかけて励ましてくれました。それは、不安を抱えながら必死にトレーニングを消化してきた私にとって、最後にもらえたご褒美のような感動体験となりました。

<ザイグ夫妻と。>



④エリクソンの足跡

 

トレーニングの合間に、エリクソンにまつわる三つのある場所に行きました。一カ所目は、エリクソンが患者に行くことを宿題として出していたDesert Botanical Gardenという植物園です。トレーニング仲間3人と、色々な種類のサボテンの生えた庭をのんびり散歩しました。

<植物園のサボテン達。エリクソンの患者は、様々な種類のサボテンのように人生にも様々な選択肢があることを、課題を通して象徴的に学んだ。>

二カ所目は、同じくエリクソンが介入に使ったスクオーピーク(Squaw Peak:現在はPiestewa Peakに改名)という山です。早朝5時前に起きて、このために持ってきたトレッキングシューズを履き、トレーニング仲間のアメリカ人と夜明け前のトレイルを登り始めると、途中で朝陽が顔を出して雲を美しく染めました。

<スクオーピークから見る朝焼け。>


サボテンの点々と生えるトレイルの中腹には、エリクソンの功績を讃えるベンチが、フィニックスの街を見下ろしていました。

<スクオーピークの中腹にある、エリクソンの肖像付きベンチ。"MILTON H. ERICKSON. M. D. 1901-1980 FOR BRINGING A VASTER PERSPECTIVE AND A HIGHER POINT OF VIEW TO PSYCHOTHERAPY"と記され、エリクソンの心理療法における功績が讃えられている。>


最後は険しい岩山をよじのぼり、ついに登頂成功!トレーニングを振り返りながら一歩一歩進んで辿り着いた頂上からはフィニックスの街が一望でき、何とも格別な気分でした。(この直後、7時間のドライブの家路に着いた私は、疲れ果てて砂漠の真ん中で仮眠することになります・・・・笑)

<登頂の瞬間。エリクソンの患者は、自分がいかに今まで無駄に我慢してきたかを、いまいましい登山の課題によって象徴的に気付かされた。>

三カ所目は、エリクソンが30年間暮らし治療活動を続けた家です。ベイトソン、ヘイリー、ロッシ、オハンロンなども、エリクソンの技法を学ぶためにここを訪れました。今はエリクソン財団が買い取り博物館のようになって、ほとんど当時のままの状態で管理されています。意外にも質素でこじんまりとした建物に、エリクソンの人柄が表れているようでした。

<フィニックスに残るエリクソンの家。敷地が広く裏庭がゆったりしているが、建物自体は控えめ。>


リビングルーム。ザイグ先生が初めてエリクソン邸を訪れた時、左奥のドアから入って来て、この椅子に座ったエリクソンにロボットのような動き(混乱技法)で出迎えられました(参考:ジェフリー・K・ザイク ミルトン・エリクソンの心理療法セミナー(成瀬悟策監訳/宮田敬一訳) 1984)。

<リビングにあるエリクソン愛用の椅子。>


治療室には、エリクソンが好きだった木彫りの置物や、患者が治療費代わりに贈った物が所狭しと飾られていました。

<治療室。有名な技法の多くはここから生まれた。>


何だかおじいちゃんの家に遊びに来たような、暖かくて懐かしい雰囲気のする家でしたが、同時に家族療法誕生の歴史が詰まった空間であると思うととても感慨深く、そんな空間を訪れることができたことに感謝の気持ちが溢れました。

 


おわりに

 

日本人として海外のトレーニングに参加するということは、とても敷居が高く感じられ、なかなか気軽に挑戦できないと思われる方が多いことでしょう。私自身、英語にも臨床経験にも自信がなかったためトレーニングについていけるか不安でしたし、そのせいで周りの人がやけに堂々として見え、自分が周りに比べて劣っているような心細い気持ちになったものです。しかし一旦思い切って飛び込んでみると、案外苦しみながらもいつの間にか乗り越えられているものですし、その中で得られることは予想以上に多かったと思っています。それはトレーニングから得た知識だけではなく、恥ずかしい思いや悔しい思いをしながらも自分の限界を広げることができたという自信や、自分はあそこと繋がっているんだ、いつかきっとまた訪れるんだという少し高い意識など、精神的支柱となるものだったような気がします。移民が多く、異質な人を受け入れる寛容さやオープンさを持ったアメリカのお国柄が幸いしたこともあり、半端者の私でも、勇気を出して飛び込み必死に努力している姿勢を見せれば、誰もが偏見なく親切に受け入れてくれることを経験しました。
もう一つ私が得た大きな収穫は、様々な人との出会いです。トレーニング仲間とはもちろん、講師の先生方とも繋がりができました。特にカタリーナは、「ケースで困ったらいつでもメールで相談して。私はケースの話が好きだから。」と気前よく言ってくれています。東日本大震災の際には、世界中から日本を心配し応援するメッセージが届いて感動しました。そんな大切な出会いの可能性も、海外でのトレーニングの大きな醍醐味の一つなのだなと感じました。いつの日か、もう一回り成長した自分で再会できるように、また日本で精進していきたいと思います。



<参考URL>
・ MRI:http://www.mri.org/

・ Center for Systemic Action:http://web.me.com/bangerdiaz/Center_for_Systemic_Action/home.html

・ ミルトン・エリクソン財団:http://www.erickson-foundation.org/ 

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