メキシコ家族療法事情

ラテンアメリカ家族研究所 (Instituto Latinoamericano de Estudios de la Familia A.C.)

家族療法 修士課程教員・継続教育課課長 矢代倫子


ラテンアメリカ家族研究所(略称ILEF)は、メキシコシティのコヨアカン地区にある家族療法を修士課程として教える学校です。ナチョ・マルドナード(Ignacio Maldonado) とエステラ・トロヤ(Estela Troya)というアルゼンチン人の家族療法家を中心として1984年に創立されました。現在まで約30年に渡り、メキシコの家族療法を牽引する存在として、家族療法の専門家の養成、臨床心理的な諸問題の治療や研究、コミュニティ・サービス等に従事してきました。

 

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コヨアカンの中の一軒家を利用しているラテンアメリカ家族研究所

 


 

ILEFの家族療法を専門とする修士課程は、3年間の学科と100時間のライブスーパービジョンによる実習で構成されており、メキシコの他の養成機関と比べても就学期間や内容が厳しい事で知られており、クオリティーの高さは各関連分野で広く信頼を得ています。実習においては、家族療法の伝統ともいえるマジックミラーとインターフォンを使ったスーパービジョンが採用されており、マスターの学生は学科の2年目から4人の学生で構成されるチームに所属して、担当ケースの治療を受け持ちます。この実習課程ではマジックミラー越しに見つめるスーパーバイザーと3人のチームメートからのフィード・バックを活かしながら、カウンセリングにあたらねばならず、治療知識の実践的応用や会話技術を習得することが求められます。卒業に必要な規定の時間数を修めるためには、平均して3つのチームに各一年ずつ計3年所属し、学科入学から通算して約4年で全単位修得に至る学生が多く、そこで初めて卒論を提出する資格が得られます。メキシコや他国の養成機関で短期化が一般化している現在の傾向に逆行するような長期の教育システムですが、卒業生は終了時に到達する知識・実技能力に感謝と満足の声を寄せています。

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ILEF創立者のナチョ・マルドナードとAD/HDと家族療法について多数の著書のあるアルゼンチンの家族療法家のエストレージャ・ホセレビッチ (ILEF内のスーパービジョン・ルーム/後ろにあるのはマジックミラー)


 

又、ILEFには、地域社会に貢献するという理念の基、卒業生の中から一定の書類審査を通った人で構成されたクリニックがあり、メキシコ社会一般の人に相談窓口が開かれています。相談内容は、子供や大人の情緒・行動障害、家族・夫婦関係の問題、離婚・再婚、親の虐待や各種依存の問題、暴力、対人恐怖、適応障害等様々であり、クリニックに所属するカウンセラーは毎月ILEFのスーパーバイザーによるグループ臨床相談が受けられるシステムになっています。このクリニックはカウンセリングを受けたい人の社会経済状態によって料金が設定されるので、貧富の差が激しいメキシコ社会の様々な階層の人のカウンセリングのニーズに答えられる形になっています。長年の信頼から、相談数がとても多く需要に供給が追いつききらない部分もありますが、クリニックの活動は、地域社会への貢献と同時に、家族療法が社会的に認知されていく様々な機会を提供してきました。又、卒業生が臨床経験を増やし、カウンセリング技術の向上を目指していくための養成コースのフォローアップの役割も果たしています。

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ILEF創立者のエステラ・トロヤとCECFAMのコーディネーターを務めるエステル・アルタウス


 

専門家養成の他にこの学校が力を入れてきた活動に、治療・研究活動があります。研究所内にはCAVIDAと呼ばれる家庭内暴力やDVを専門とする研究・治療チームと、GINAPと呼ばれる夫婦問題、カップル・セラピーを専門とするチーム、CECFAMと呼ばれる家族と慢性病の問題を研究する治療チームがあり、卒業生や在校生で構成されるクリニックと共に、現代のメキシコ人の多様なカウンセリングのニーズに答えています。

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ミニューチンの最新の本の翻訳の監修をしたILEF財務担当のエレナ・コルデロと研究課課長のGINAPのメンバーでもあるリリアン・サパン

 


 

ナチョ・マルドナードの率いるCAVIDAの活動は17年の歴史を持ち、家庭からの暴力追放という市の政策や各種機関との協力の下、様々なワークショップやグループセラピー、専門家養成講座などを展開してきました。家族療法家がコーディネートする男性・女性に分けてのグループセラピーは、問題を個人のものと切り離して考えず、家族システム、夫婦システムへの包括的な介入や、その可能性を視野に入れながらの各個人へのケアを可能にしてきました。加害者・被害者がそれぞれのグループセラピーと同時に、同じセンターのスタッフによる夫婦セラピーや家族セラピーもうけられるという治療プロセスは、この問題の複雑さに対応したフレキシブルなケアの実現を可能としました。CAVIDAの様々な試みは孤立、沈黙、秘密等といった夫から妻へ、親から子供へといった家族間でのバイオレンスの問題を深刻化させる様々な要因の予防・治療に多くの示唆と解答を与えてきました。

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ミニューチンの最新の本の翻訳の監修をしたILEF財務担当のエレナ・コルデロと研究課課長のGINAPのメンバーでもあるリリアン・サパン

 


 

エステラ・トロヤの率いるGINAPのカップル・セラピーの養成講座も評価が高く、現代社会における多様な夫婦関係や恋愛関係のあり方とそこから派生する諸問題への専門家や社会全体の理解を深める事に貢献しています。メキシコシティは2009年から世界でも数少ない同性結婚を法的に認めた都市となり、カウンセラーにとっても、ジェンダーやセクシュアリティー等のテーマへの新しい理解が必要不可欠の課題となっています。ホモセクシュアリティーをタブーとするカトリック教の信者が多い国での同性結婚制度導入は個人、家族、教育現場や職場に、新しい可能性と葛藤を産み、様々な社会コンテクストで、ジェンダーや人間関係の問題をフレキシブルに扱える専門家のニーズが増えています。マチスモが深く根付くメキシコ社会での女性の社会進出や地位向上、シングルマザーや離婚率の増加は、価値観の多様化を伴い、伝統的な夫婦関係のあり方に影響と葛藤を与え続けています。ILEFは、社会の価値基準の変化に伴う諸問題に対応できるカウンセラーの養成に日々取り組んでいます。

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ビデオが設置されたスーパービジョン・ルーム

 


 

更に、ラテンアメリカ家族研究所を紹介するときに、欠かせない要素のひとつとして、国際的に著名な家族療法家との長い交流の歴史が上げられます。両創立者とも、家族療法内の様々な研究者との広い交友関係をもっています。サルバドール・ミニューチンは30年近くにわたって、4年おきに必ずメキシコでILEFのオーガナイズによるワークショップを続けており、2006年には、当時まだ出版されていなかった4ステップの新しい治療モデルを、アメリカについでメキシコシティで発表しました。その他、カルロス・スルツキ、故マイケル・ホワイト、マウリシオ・アンドルフィ、ミラノ派の今は故人となったチェキン、ボスコロ、マラ・セルビー二等といった国際的に著名な家族療法家のワークショップの開催にも力を注いできました。創立者のナチョ・マルドナードは家族療法の代表的な専門誌ファミリー・プロセスのディレクション・メンバーを長年務め、スルツキやミニューチン、故人となったホワイトとも個人的な友情と信頼で結ばれてきました。もう一人の創立者のエステラ・トロヤも、ラテンアメリカやスペインなどのヨーロッパでワークショップの講師に度々招聘されるなど、国際的な協力と交流を実現してきました。

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ミニューチンの2010年のワークショップ. CAVIDAのアドリアナ・セゴビアと壇上でケースの分析をするミニューチン。それを参加者席で見るナチョ・マルドナード、その右にILEF現代表のバルバラ・アムナテギ、その右にミニューチンの奥様のパティさん

 


 

世界の心理カウンセリング発展の歴史をふりかえると、家族療法のみならず、精神分析等、各時代において新しい心理臨床アプローチの研究やカウンセラーの養成は、近代科学との方法論的継続性を重視する心理学を推進する大学というコンテクストよりも、私立の小さな学校で発展してきたケースが多く見受けられますが、メキシコにおけるILEFの位置づけもその例のひとつに数えられると思います。小さな私立の学校で始まった家族療法は、この30年間で着実にメキシコ社会に浸透してきており、現在では、メキシコ国立自治大学を始めとして、他の様々な大学の心理学部内で、家族療法の修士課程が開かれています。ILEFは現在メキシコにいくつか存在する家族療法をマスターレベルで教える学校の中でも、老舗の学校として、又、家族療法の発展に貢献してきた伝統のある機関として広く信頼を得ています。

メキシコ社会における家族療法の位置づけを説明するために、心理カウンセリング一般について少し言及すると、伝統的フロイト派、ユング派、ラカン派といった精神分析系の学校もたくさんある中、エリック・フロムが滞在した事も関係してかヒューマニスティック・アプローチ、ゲシュタルト、ロジャーズ派、認知行動療法、エリクソン派の催眠療法など、様々な違ったアプローチのカウンセラーの養成学校があり、それぞれの国際学会やワークショップも頻繁に開かれています。カウンセリング自体がメキシコ社会の中で着実に浸透してきており、以前そうであった様な自己啓発の意識の高い、または支払い能力のある限られた富裕層の人々のものという位置づけとは変わり、ずっと一般化してきたと言えます。多くのカウンセラーの個人開業が一般化しており、その中でも、家族療法家は上述したとおり、様々な大学でマスターコースが開講される等、急速に活動範囲を広げ、社会的認知度を上げて来ました。

一例をあげれば、メキシコでは小学校から高校まで留年の問題が常に学生の身近にあり、学習能力に問題がある学生や社会行動や情緒・学習態度に問題のある学生には、学校側がスクールカウンセラーではない外部の心理療法家のカウンセリングを学生に義務付けるという文化が定着しています。家族は子供が留年しないためには、カウンセリングを受けさせざるを得ないという状況になります。こういった学校の対処法は、カウンセリングの位置づけをより社会に浸透させる要因を形成してきたとも言えます。この分野は以前は主に小児心理療法家や思春期の専門家が受け持ってきましたが、子供の行動・情緒障害は家庭環境に変化を促すことで本人の変化を促進させられる事が多く、近年においては、学生本人は元より家族システム全体に包括的に対応できる家族療法家の需要が増えており、システムアプローチの認知度を上げる要因になってきました。

又、アルコール依存や薬物依存、暴力行動、喪失・虚脱感、近親者によるセクシャル・アビューズ、第三世代と呼ばれる高齢者問題など、精神医学では解答が出しきれていない多様で深刻な社会問題に、様々な解決法を出してきたのが心理療法であると言え、その中でも家族療法はそれぞれの社会コンテクストにあわせた実用的な解決法が提案できる治療法として社会の信頼を得てきました。ラテン文化においては、家族とのつながりが、個人の価値観形成や情緒的安定、又は人生観や日常生活に影響する度合いが強く、それが、メキシコで家族療法による治療成果が多数確認されてきた事の説明にも繋がるかもしれません。

このように、メキシコにおける家族療法は、多様な社会問題に解答を出しながら確実に発展してきたと言え、ラテンアメリカ家族研究所の卒業生の中には、様々な形で家族療法の応用範囲を広げて活躍してきた人が数多く存在します。メキシコシティの観光スポットの一つでもあるコロニアルスタイルを色濃く残す住宅街の中の一軒家を使った小さな教育・研究機関でありながら、ILEFはその長年の活動と成果から、メキシコの家族療法の普及と発展に大きく貢献し牽引してきた伝統ある機関と言えます。

 


 

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矢代倫子 在メキシコ18年目。

2006年からILEFの修士課程の教員そして継続教育課の課長として勤務。

専門はDVや家庭内暴力、ジェンダーとカウンセリング、ナラティブ・セラピー、認識論、治療モデル比較、家族療法史、夫婦向けワークショップ等。

 

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